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TORENDIA

表現

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

映画「カッスル夫妻」を鑑賞し、踊り手である夫妻の感情表現と演出について考察する。成功に至る過程での葛藤が十分に描かれていない点や、終盤の悲劇的な場面において主人公が踊ることで苦しみを表現すべきという持論を展開し、監督や出演者の表現に対する捉え方を論じる。芸術家の情感とそれを体現する身振りの真実性をめぐり、真の踊り手としての在り方を見つめ直す評論である。

宮本百合子

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私は映画がすきなくせにいつも野暮ったい観かたばかりしているのだけれど、さきごろの「カッスル夫妻」でも、いろいろの印象をのこされた。アステアのカッスルが、初め喜劇役者として稼いでいる。筋のはこびでは、後にカッスル夫人となったロジャースの娘にあってそのかえりの田舎の小さい停車場で初めて踊るのだが、あれほど踊りこそ天職と思っている青年がその宝を見出されないで喜劇役者をやっている悲しさというか、その芸術家として必然と思われる哀愁が、初めの部分の踊りかたではちっとも描き出されていない。興業師のマンネリズムがカッスル・ウォークの真価をみとめないで苦境におかれるという関係の面だけは後で説明しているけれども。

アステアの踊りの感覚からおしはかると、そういうピエロの悲しみが決して分らない男だとは思えない。監督が何か表面の筋に足をとられている。そんな風に感じた。

そうして観て行って、成功したカッスル夫妻の様々な新しい踊りの姿、カッスルの出征、やがて二人が最後に一緒におどる踊り、カッスルは軍服で、カッスル夫人は白い装でおどるあのワルツ風の踊りは、実に美しかった。磨きぬかれた舞踊の技術と情緒の含蓄と、しかもその情緒を貫く愛の思いがいかにも睦み合う夫と妻との諧調を表現していて、全く感動的であったと思う。広いホールに、時間が来たのにまだ現れない前線からの良人を待って、踊りを所望されたカッスル夫人が、不安な白鳥のように孤独でたゆたっている。ところへ、カッスルが入って来て、ああ、と両方からよりそって手をとりあったその感情から、静かな、劬りのあるステップが流れ出す。次第次第にそのステップは熱し、高まって、優しく激しい幾旋回かののち、曲は再び沈静して夫妻は互に互の体を支えあいながら、顔をふるるばかりに近く互に見入りながら、消えてゆく音楽の余韻の裡に立っている。

本当にこうも踊れる男と女とが、こういう夫妻の情感でおどったら、こう踊るしか踊りようもないであろうと思われた。その位内部的にも充実しきった美しさであった。

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