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TORENDIA

岩野清子氏の『双棲と寡居』について

本文約6,900字 ・ 読了時間 約14分

あらすじ(AIが作成しました)

中央公論に掲載された『双棲と寡居』において、岩野清子は六年間にわたる配偶者との愛の解釈を巡る葛藤や争闘、自身の心理を綴る。しかしその内容は不自然な理屈や矛盾を孕んでおり、自意識を持つはずの著者がなぜ不本意な結婚生活を続けたのかという疑問を抱かせる。本書を論じる本稿は、事実と後から付け加えられた理屈との間にある大きな乖離を指摘し、清子の主張する生活のあり方や、愛のない結婚生活を続ける心理に対して厳しい批判を加える。

伊藤野枝

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🎧 岩野清子氏の『双棲と寡居』について / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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私は中央公論十月号に掲載された『双棲と寡居』を読んで黙つてはゐられないやうな気がした。

私がそれを最初に読んだときは可なり無理な理屈があると云ふことに気がついたに過ぎなかつた。そうして再読三読して見て私はそれがどうしても無理おしつけの後からつけた理屈でうづめられてゐることを見逃すことは出来なかつた。尤も清子氏について全く未知ではない私は氏がどんな些細な行動にも何かしら後からきつと何とか理屈をつけずには気がすまないと云つた性質を幾分持つてゐられることは早くから知つてゐた。それで清子氏としてはそれは決して全く不自然ではないかもしれない。そして氏自身がそれで安神してゐられるなら少しも差支へのないことだと思ふ。併しこの態度を自分として考へたときに私は非常に不快になる。何故なら若しかりにあの理屈が後からつけた理屈でなしにあの通りに動いてこられたのなら人間の自然の性情とは非常に遠い不自然な人間であると思はずにはゐられない。如何に理智の勝つた人間であつてもあれ丈けの不自然から来る苦痛には堪へられやうとも思はないし、若し又理智の勝つた人間であるならあの理屈と理屈の間の矛盾を見逃せる筈はない。

氏は第一にその結婚が悪闘の苦しい歴史であつたと云つてゐられる。併しこの述懐は私達にとつては奇異なものでなければならない。何故なら若し自意識も何にもない女が在来のいろ/\な情実から結婚をして或る動機をもつて意識した時にその過去をふり返つての述懐ならばそれは同情すべきであるし同感も出来る。併し結婚の最初において既に立派な自意識をもつて事を運んだ氏の述懐としてはこれは不思議なものでなければならぬ。

『私は私の結婚生活の六年間に於いて配偶者のもつ愛の解釈と私のもつ愛の解釈との錯誤の為めに彼は彼の解釈する愛を肯定させやうとし私は私の解釈し望んでゐる愛に同化させやうとして永い戦争を続けた』

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