TRENDIA CLASSIC

貞操に就いての雑感

伊藤野枝

1 / 8

在来の道徳の中でも一番婦人を苦めたものは貞操であるらしい。

私は今迄かなり貞操と云ふことについては他人の考へを聞いたり教へられたりしたけれど私自身のちやんとした貞操観と云ふものは持たなかつた。私は本当にその事に就いてはさう考へるやうな事に今迄出会はなかつたし自分でも是非考へなければならないことであるとも思はなかつた。併し今迄他の人々の所謂貞操観を聞く度びに多少の意見は持たないでもなかつた。

此度はしなく生田花世氏と安田皐月氏の論文によつて私は始めて本当に考へさゝれたけれどもそれとても矢張両氏のお書きになつたものを土台としての自分の考へでまだちやんとした貞操観にはなつてゐない。

十日頃平塚氏と会つたときその話が出ていろ/\話して見てまた更に自分の考へを進めて見た。けれども結局本当に痛切な自分の問題にはならなかつた。そうして最後に私が従来の貞操と云ふ言葉の内容に就いて考へ得たことは愛を中心にした男女の結合の間には貞操と云ふやうなものは不必要だと云ふこと丈けであつた。

在来の貞操と云ふ言葉の内容は「貞女両夫に見えず」と云ふことだとすれば私はこんな不自然な道徳は他にあるまいと思ふ。

かう云ふと又其処らでいろ/\うるさい理屈を云ふ人があるかもしれないけれど例へば此処に良人に死別れた婦人があるとして若しもその婦人が死んだ良人に対して何時迄も同じ愛が続いてゐてそれが動かすことの出来ない程力強いものであるならばそれはその婦人にとつては独身でゐることは不自然でなく普通な事柄であると云はなければならない。然し多くの世間の寡婦達の間にはさう何時迄も寡婦でゐることを幸福だと思つてゐる人許りはない。貞操と云ふ道徳観念をその人達の頭から取り去つてしまつて欲するまゝに動かしたら屹度その人達がよろこんで相手をさがす事は必定である。またそれは決していけないことではないと私は思ふ。極めて自然な事柄である。

伊藤野枝の他の作品

🎧
消息
伊藤野枝 ・ 約2分
🎧
読者諸氏に
伊藤野枝 ・ 約2分
🎧
夫婦喧嘩の功過と責任の所在(アンケート回答)
伊藤野枝 ・ 約1分
🎧
編輯室より(一九一五年五月号)
伊藤野枝 ・ 約5分
🎧
編輯室より(一九一五年七月号)
伊藤野枝 ・ 約3分
🎧
編輯室より(一九一五年四月号)
伊藤野枝 ・ 約4分
🎧
編輯室より(一九一五年一月号)
伊藤野枝 ・ 約4分
🎧
編輯室より(一九一五年三月号)
伊藤野枝 ・ 約1分
🎧
編輯室より(一九一五年二月号)
伊藤野枝 ・ 約2分
🎧
編輯室より(一九一五年六月号)
伊藤野枝 ・ 約6分
🎧
編輯室より(一九一三年七月号)
伊藤野枝 ・ 約3分
🎧
編輯室より(一九一四年一一月号)
伊藤野枝 ・ 約4分