TRENDIA CLASSIC

旅行に就いて

長塚節

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余は旅行が好きである、年々一度は長途の旅行をしなければ氣が濟まぬやうになつた。兎に角全國歩いて見たい積りで地圖の上に朱線の殖えるのを樂みの一つにして居る。時には汽車や汽船の便を借りることもあるが、大抵は徒歩である。隨つて身體には苦勞を掛けて、歸りには顏が黒くなつて頬骨が出る。それで苦勞をすればする程、旅行の面白味が増して、話の種が殖えて來る。人に旅中の話をすれば、人も面白いといふ。自分は益々得意になる。偶々旅行して、どれだけ面白味があるのだと反問するものがあるが、旅行をしたことの無い者には、旅行の面白味は分るものではない。枇杷の木に黄色な實が熟したとて、下から見たゞけでは味はわからぬ。一つでもちぎつて見れば、枇杷のうま味は直にわかる。旅行をして見れば、旅行の面白味は直に知れる。素裸になつてただごろ/″\して居る者は、長い暑中休暇を短くして暮すものである。五十餘日を回顧して何物も頭に浮び來るものが無いからである。旅行をすれば、其處に追懷といふものがある。短い時日でも、長くするのは變化と活動とに富める旅行の賜である。特別の事情ある者は格別、然らざるものには、切に休暇中の旅行を勸める。多くの學生の間には、必便宜を有して居ても、躊躇して居るものがあることゝ思ふ。此は余が以前は非常な旅行嫌ひで、僅に一日の遠足でも出ることが稀で、素より修學旅行などに隨伴したことがなく、唯恐れてばかり居つたことに徴して、十分に想像が出來るのである。然し實際旅行をして見ると、案外に人が親切で一向苦にならぬものである。

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