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TORENDIA

九年母

本文約2,500字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

小学校の修身の教科書で読んだ「九年母」の香気を愛する著者が、京都の庭に植えた九年母の成長と、その果実を味わう様子を綴る。あわせて、幼少期に過ごした下関での思い出を辿り、イギスや雲丹、ニイナ、若布の芽の茎といった郷土の食文化を回想する。近代化とともに移り変わる風俗や、失われゆく懐かしい味覚への愛着を混じえながら、記憶の中に生き続ける野趣あふれる各地の食の情景を描く随筆である。

青木正児

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🎧 九年母 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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明治二十五年の春、私は赤間関(今の下関)文関尋常小学校に入学した。たしか二年の修身の教科書に「九年母」という話が載っていた。田舎の子供が母から九年母を親戚に贈る使いを言いつけられて、途中風呂敷包を開けてみると九個ある、一個食べておいて、「八年母を差し上げます」と差し出したという話。私はなぜかその話が面白くて、今でもその挿図の子供の姿が眼に残っている。私は九年母が好きであった。味よりもあの香気が好きだったのである。

あれから三十年、私は父の死後、京都に落着くつもりで下鴨に廬を結んだ。名づけて守拙廬という。扁額は亡友本田蔭軒君の筆、刻は主人自刀である。少しばかりの空地に植える果樹の苗を数種取り寄せたが、なかに九年母三本を加えることを忘れなかった。それからまた三十余年、他の果樹は育たなかったり枯れてしまったりしたが、九年母二本と柿一本とだけは恙無く現存している。特に九年母は繁茂して、近来年々三百顆の実を付ける。初夏には王朝の花橘をしのばせる香が小園に満ち、冬にはトキジクノカクノコノミのように熟れた実が濃緑の葉かげに金色の光を放つ、これが主人自慢の種である。皮ごと竪に二つに割って、横に薄く切り、醤油を滴らして食うと、酒の肴に珍無類、仙気を帯びた異味となる。子供たちは酸っぱいと言って軽蔑し、あの香気の素晴しさを説いて、皮ごと食えと教えても決して食わない。なるほど実の酸っぱいのが玉に瑕である。

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