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TORENDIA

現代語訳 平家物語

本文約6,800字 ・ 読了時間 約14分

あらすじ(AIが作成しました)

建礼門院は、壇の浦の戦い後に都へ戻り、廃屋での侘しい生活を経て仏門に入る。人里離れた大原の寂光院へ居を移し、念仏に励む日々を送るなか、かつて栄華を極めた半生や、亡き人々への追憶に涙する。ある日、後白河法皇が寂光院を訪れ、女院は自身の壮絶な体験や六道に迷い込んだような心境を語る。その後、穏やかな暮らしのなかで念仏を唱えながら、静かに生涯を終えるまでの静寂と無常を描く。

灌頂の巻

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大原入(女院御出家)

壇の浦で入水するところを、源氏の兵に救い上げられ、京に帰った建礼門院は、昔とはうって変った侘しい生活を続けていた。

昔、中納言法印慶恵という、奈良の僧が住んでいた坊が、空家になっていたところに住まわれていたが、見るかげもない廃屋で、草深い庭に囲まれ、寝所を掩う簾さえもない有様で、これが、かつて絢爛豪華な宮殿に、多くの侍女にかしずかれて過した人の住居とは、到底、信じられなかった。

それにつけても、まだ、西国の波の上で、仮寝の夢を結んでいた生活の方が、ずっと幸せであったような気がして、思い出話といえば、直ぐ、あの当時は苦しかった西国の海上生活のことであり、あの時は誰々が生きておいでであった、あの方もまだご無事でおいでであったなぞと、今は亡き人々のことばかりが、ひとしきり話題にのぼり、それが涙をそそる種となるのである。

この世に何の望みもなくなった女院は、いよいよ出家の決心を固められ、文治元年五月一日に、御戒の師に、長楽寺の阿証坊の上人印誓を選んで髪を切られることになった。

御布施には、今まで形見にと思って大切に持っていた先帝の直衣を、他に適当な物がなかったので、泣くなく取り出されて、上人に渡されたのである。印誓上人もあまりの痛わしさに涙ながらにおしいただいて、帰っていった。

女院が女御の宣旨を受けられたのは十五歳の年で、翌年中宮となり、二十二歳で皇子を生み、皇子が即位されて安徳帝となられて以来は、院号を賜わり、建礼門院と称したのである。

清盛の娘という幸運にめぐり合わせた上、内裏へ入られてからは天下の国母と仰がれ、人々の尊敬と羨望を一身に集めていた。丁度、今年で二十九歳である。花の盛りを過ぎたとはいえ、天性の美貌は少しも衰えを見せなかったが、今となっては、もう誰に見せる必要もない黒髪であったから、惜し気もなく切り捨てて、仏門に入ったのである。

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