現代語訳 平家物語
本文約40,400字 ・ 読了時間 約81分
あらすじ(AIが作成しました)
寿永三年、屋島に拠る平家は京の華やかな思い出を語り春を過ごす。一方、木曽義仲討伐のため、頼朝が範頼と義経を大将とする軍勢を西国へ派遣する。鎌倉を出立した梶原景季や佐々木四郎ら武士たちが宇治川の先陣を競い、義経は難所を越える道案内を求めて鷲尾三郎義久を従える。また、平通盛と小宰相局の深い情愛の経緯や、都落ちの果てに波間で遂げられる二人の悲劇的な別れが綴られる。
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小朝拝
寿永三年正月一日、法皇の御所は大膳大夫成忠の宿所、六条西洞院であるから御所としての体裁は整っていない。それ故、院の拝礼もなく、また内裏での行事である小朝拝も行なわれなかった。
屋島に立てこもる平家はここで新年を迎えたが、元旦の儀式がうまくゆかぬのは当り前である。主上はおいで遊ばすが節会も行なわれず、腹巻の奉納もなく、吉野の国栖人の歌舞奉仕もなかったので、
「いかに末世とはいえ、都にいればかかる有様はなかった」
などと嘆くことしきりであった。
世に青陽の春が訪れ、磯吹き渡る風も和やかに、陽の光も長閑にはなってゆくが、ここの平家は氷に閉じ籠められた気がして、とても心のどけき春などという心境とは遥かに遠いものがあった。平家が語るは昔のこと、都の楽しかりし思い出ばかりである。京の東岸西岸の柳も今は相前後して芽を吹き、南枝北枝の梅が咲けば花が散る時期はちがっているなどと話し合い、花の朝、月の夜に詩歌管絃、鞠、小弓、扇合せ、絵合せ、草尽くし、虫尽くしなど、心楽しく遊んだ思いを語り続け語り明かし、春の遅日を過すのであった。
宇治川
寿永三年正月十一日に木曽左馬頭義仲は院に参上して、平家追討のため西国へ出発する旨を申しあげた。十三日には早くも出発ということにきまった。そこへ、頼朝が京で義仲の狼藉を鎮めようと範頼、義経を将として差し向けた軍勢数万騎が、美濃、伊勢に到着する頃だろうという報告があった。驚愕した義仲は、宇治、勢多の橋板を取り外し、そこへ軍勢を派遣して防禦に当らせた。手勢が少なかったので、勢多の橋へは今井四郎兼平に八百余騎を率いさせて向け、宇治橋へは、仁科、高梨、山田次郎に五百余騎をつけて派遣した。一口へは伯父の信太三郎先生義憲を三百余騎とともに向わせた。
東国から攻めのぼる大手の大将軍は蒲御曹司範頼、搦手の大将軍には九郎御曹司義経、これに従うは東国の主な大名三十余人、その軍勢合せて六万余騎という大軍である。
この頃、頼朝は生食、磨墨という二匹の名馬を持っていた。この生食をしきりに欲しがったのは梶原源太景季である。梶原は頼朝に度々生食拝領を願い出たが、