TRENDIA CLASSIC
戯作三昧
芥川龍之介
1 / 26
一
天保二年九月のある午前である。神田同朋町の銭湯松の湯では、朝から相変らず客が多かった。式亭三馬が何年か前に出版した滑稽本の中で、「神祇、釈教、恋、無常、みないりごみの浮世風呂」といった光景は、今もそのころと変りはない。風呂の中で歌祭文を唄っている嚊たばね、上がり場で手拭をしぼっているちょん髷本多、文身の背中を流させている丸額の大銀杏、さっきから顔ばかり洗っている由兵衛奴、水槽の前に腰を据えて、しきりに水をかぶっている坊主頭、竹の手桶と焼き物の金魚とで、余念なく遊んでいる虻蜂蜻蛉、――狭い流しにはそういう種々雑多な人間がいずれも濡れた体を滑らかに光らせながら、濛々と立ち上がる湯煙と窓からさす朝日の光との中に、糢糊として動いている。そのまた騒ぎが、一通りではない。第一に湯を使う音や桶を動かす音がする。それから話し声や唄の声がする。最後に時々番台で鳴らす拍子木の音がする。だから柘榴口の内外は、すべてがまるで戦場のように騒々しい。そこへ暖簾をくぐって、商人が来る。物貰いが来る。客の出入りはもちろんあった。その混雑の中に――
つつましく隅へ寄って、その混雑の中に、静かに垢を落している、六十あまりの老人が一人あった。年のころは六十を越していよう。鬢の毛が見苦しく黄ばんだ上に、眼も少し悪いらしい。が、痩せてはいるものの骨組みのしっかりした、むしろいかついという体格で、皮のたるんだ手や足にも、どこかまだ老年に抵抗する底力が残っている。これは顔でも同じことで、下顎骨の張った頬のあたりや、やや大きい口の周囲に、旺盛な動物的精力が、恐ろしいひらめきを見せていることは、ほとんど壮年の昔と変りがない。
芥川龍之介の他の作品
TRENDIA CLASSIC
内田百間氏
芥川龍之介
内田百間氏
芥川龍之介 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
剛才人と柔才人
と
芥川龍之介
剛才人と柔才人と
芥川龍之介 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
「支那游記」自
序
芥川龍之介
「支那游記」自序
芥川龍之介 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
「侏儒の言葉」
の序
芥川龍之介
「侏儒の言葉」の序
芥川龍之介 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
装幀に就いての
私の意見
芥川龍之介
装幀に就いての私の意見
芥川龍之介 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
出来上った人
芥川龍之介
出来上った人
芥川龍之介 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
夏目先生と滝田
さん
芥川龍之介
夏目先生と滝田さん
芥川龍之介 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
二人の紅毛畫家
芥川龍之介
二人の紅毛畫家
芥川龍之介 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
亦一説?
芥川龍之介
亦一説?
芥川龍之介 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
無題
芥川龍之介
無題
芥川龍之介 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
森先生
芥川龍之介
森先生
芥川龍之介 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
臘梅
芥川龍之介
臘梅
芥川龍之介 ・ 約1分