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TORENDIA

父

本文約7,200字 ・ 読了時間 約15分

あらすじ(AIが作成しました)

放埒な生活を送り、家族に苦労をかける自らの姿を、聖書のイサクを捧げようとしたアブラハムや、義のために子と別れた佐倉宗吾郎の物語と対比させる。家庭の困窮を顧みず、金銭を浪費し、病弱な妻を配給の列に並ばせて平然と外遊びへ向かう自身の矛盾した行動を描き出す。男性特有の哀しい弱点と形容しつつ、己の胸の内にある言葉にできない信念と、地獄のような日常を繰り返す逃れられぬ業を綴る随筆。

太宰治

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イサク、父アブラハムに語りて、

父よ、と曰ふ。

彼、答へて、

子よ、われ此にあり、

といひければ、

――創世記二十二ノ七

義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。信仰の祖といわれているアブラハムが、その信仰の義のために、わが子を殺そうとした事は、旧約の創世記に録されていて有名である。

ヱホバ、アブラハムを試みんとて、

アブラハムよ、

と呼びたまふ。

アブラハム答へていふ、

われここにあり。

ヱホバ言ひたまひけるは、

汝の愛する独子、すなはちイサクを携へ行き、かしこの山の頂きに於て、イサクを燔祭として献ぐべし。

アブラハム、朝つとに起きて、その驢馬に鞍を置き、愛するひとりごイサクを乗せ、神のおのれに示したまへる山の麓にいたり、イサクを驢馬よりおろし、すなはち燔祭の柴薪をイサクに背負はせ、われはその手に火と刀を執りて、二人ともに山をのぼれり。

イサク、父アブラハムに語りて、

父よ、

と言ふ。

彼、こたへて、

子よ、われここにあり、

といひければ、

イサクすなはち父に言ふ、

火と柴薪は有り、されど、いけにへの小羊は何処にあるや。

アブラハム、言ひけるは、

子よ、神みづから、いけにへの小羊を備へたまはん。

斯くして二人ともに進みゆきて、遂に山のいただきに到れり。

アブラハム、壇を築き、柴薪をならべ、その子イサクを縛りて、之を壇の柴薪の上に置せたり。

すなはち、アブラハム、手を伸べ、刀を執りて、その子を殺さんとす。

時に、ヱホバの使者、天より彼を呼びて、

アブラハムよ、

アブラハムよ、

と言へり。

彼言ふ、

われ、ここにあり。

使者の言ひけるは、

汝の手を童子より放て、

何をも彼に為すべからず、

汝はそのひとりごをも、わがために惜まざれば、われいま汝が神を畏るるを知る。

云々というような事で、イサクはどうやら父に殺されずにすんだのであるが、しかし、アブラハムは、信仰の義者たる事を示さんとして躊躇せず、愛する一人息子を殺そうとしたのである。

洋の東西を問わず、また信仰の対象の何たるかを問わず、義の世界は、哀しいものである。

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