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TORENDIA

断崖の錯覚

本文約12,400字 ・ 読了時間 約25分

あらすじ(AIが作成しました)

大作家を志す青年は、修業のつもりで出かけた温泉地で、見栄から新進作家の名前を名乗ってしまう。偽の作家として周囲から敬意を集める中、彼は馴染みの旅館の少女・雪と親密になる。ある日、散歩中に断崖から彼女を突き落とした青年は、その場に居合わせたきこりの錯覚を利用して罪を逃れる。その後、五年の月日が経ち、彼は偽名や殺人という経験を持ちながらも執筆の成果を上げられず、雪への追憶と拭えぬ罪悪感に苦しみ続けている。

太宰治

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一

その頃の私は、大作家になりたくて、大作家になるためには、たとえどのようなつらい修業でも、またどのような大きい犠牲でも、それを忍びおおせなくてはならぬと決心していた。大作家になるには、筆の修業よりも、人間としての修業をまずして置かなくてはかなうまい、と私は考えた。恋愛はもとより、ひとの細君を盗むことや、一夜で百円もの遊びをすることや、牢屋へはいることや、それから株を買って千円もうけたり、一万円損したりすることや、人を殺すことや、すべてどんな経験でもひととおりはして置かねばいい作家になれぬものと信じていた。けれども生れつき臆病ではにかみやの私は、そのような経験をなにひとつ持たなかった。しようと決心はしていても、私にはとても出来ぬのだった。十銭のコーヒーを飲みつつ、喫茶店の少女をちらちら盗み見するのにさえ、私は決死の努力を払った。なにか、陰惨な世界を見たくて、隅田川を渡り、或る魔窟へ出掛けて行ったときなど、私は、その魔窟の二三丁てまえの小路で、もはや立ちすくんで了った。その世界から発散する臭気に窒息しかけたのである。私は、そのようなむだな試みを幾度となく繰り返し、その都度、失敗した。私は絶望した。私は大作家になる素質を持っていないのだと思った。ああ、しかし、そんな内気な臆病者こそ、恐ろしい犯罪者になれるのだった。

二

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