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TORENDIA

ぢいさんばあさん

本文約5,700字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

大名の邸内に設けられた隠居所で、白髪の老夫婦が静かに暮らす。かつて武士であった夫と、御殿女中を務め上げた妻は、離別から三十七年の歳月を経て再会した。互いに礼儀を重んじつつ穏やかに過ごす二人の姿は、近隣の人々の評判となる。ある年末、将軍から妻の貞節を称える褒美が下賜されたことで、夫婦の過去が明らかになる。本作は、流刑から戻った夫と、長年待ち続けた妻の再会に至るまでの夫婦の愛と再起を描く。

森鴎外

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🎧 ぢいさんばあさん / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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文化六年の春が暮れて行く頃であつた。麻布龍土町の、今歩兵第三聯隊の兵營になつてゐる地所の南隣で、三河國奧殿の領主松平左七郎乘羨と云ふ大名の邸の中に、大工が這入つて小さい明家を修復してゐる。近所のものが誰の住まひになるのだと云つて聞けば、松平の家中の士で、宮重久右衞門と云ふ人が隱居所を拵へるのだと云ふことである。なる程宮重の家の離座敷と云つても好いやうな明家で、只臺所だけが、小さいながらに、別に出來てゐたのである。近所のものが、そんなら久右衞門さんが隱居しなさるのだらうかと云つて聞けば、さうではないさうである。田舍にゐた久右衞門さんの兄きが出て來て這入るのだと云ふことである。

四月五日に、まだ壁が乾き切らぬと云ふのに、果して見知らぬ爺いさんが小さい荷物を持つて、宮重方に著いて、すぐに隱居所に這入つた。久右衞門は胡麻鹽頭をしてゐるのに、此爺いさんは髮が眞白である。それでも腰などは少しも曲がつてゐない。結構な拵の兩刀を挿した姿がなか/\立派である。どう見ても田舍者らしくはない。

爺いさんが隱居所に這入つてから二三日立つと、そこへ婆あさんが一人來て同居した。それも眞白な髮を小さい丸髷に結つてゐて、爺いさんに負けぬやうに品格が好い。それまでは久右衞門方の勝手から膳を運んでゐたのに、婆あさんが來て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするやうな工合に拵へることになつた。

此翁媼二人の中の好いことは無類である。近所のものは、若しあれが若い男女であつたら、どうも平氣で見てゐることが出來まいなどと云つた。中には、あれは夫婦ではあるまい。兄妹だらうと云ふものもあつた。その理由とする所を聞けば、あの二人は隔てのない中に禮儀があつて、夫婦にしては、少し遠慮をし過ぎてゐるやうだと云ふのであつた。

二人は富裕とは見えない。しかし不自由はせぬらしく、又久右衞門に累を及ぼすやうな事もないらしい。殊に婆あさんの方は、跡から大分荷物が來て、衣類なんぞは立派な物を持つてゐるやうである。荷物が來てから間もなく、誰が言ひ出したか、あの婆あさんは御殿女中をしたものだと云ふ噂が、近所に廣まつた。

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