思案の敗北
本文約2,500字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
愛の実証や懺悔のあり方、私小説の抱える矛盾など、思索の果てに見える空しさと滑稽さを綴る随筆。著者はカントの思想やルソーの懺悔録を引き合いに人間の愛や真実を論じる一方で、友人の急逝を前にして自らの愛情の貧しさや傲慢さを恥じる。他者への盲目的な感情や自身のセンチメンタリズムを自嘲気味に描き出し、理智や教養の極致が抱腹絶倒の大笑いに帰結する様を通じて、創作の苦悩や人間という存在の捉えどころのなさを叙情的に投影する。
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ほんとうのことは、あの世で言え、という言葉がある。まことの愛の実証は、この世の、人と人との仲に於いては、ついに、それと指定できないものなのかもしれない。人は、人を愛することなど、とても、できない相談ではないのか。神のみ、よく愛し得る。まことか?
みなよくわかる。君の、わびしさ、みなよくわかる。これも、私の傲慢の故であろうか。何も言えない。
中谷孝雄氏の「春の絵巻」出版記念宴会の席上で、井伏氏が低い声で祝辞を述べる。「質実な作家が、質実な作家として認められることは、これは、大変なことで、」語尾が震えていた。
たまに、すこし書くのであるから、充分、考えて考えて書かなければなるまい。ナンセンス。
カントは、私に考えることのナンセンスを教えて呉れた。謂わば、純粋ナンセンスを。
いま、ふと、ダンデスムという言葉を思い出し、そうしてこの言葉の語根は、ダンテというのではなかろうか、と多少のときめきを以て、机上の辞書を調べたが、私の貧しい英和中辞典は、なんにも教えて呉れなかった。ああ、ダンテのつよさを持ちたいものだ。否、持たなければならない。君も、私も。
ダンテは、地獄の様々の谷に在る数しれぬ亡者たちを、ただ、見て、とおった。
人は、人を救うことができない。まことか?
何を書こうか。こんな言葉は、どうだ。「愛は、この世に存在する。きっと、在る。見つからぬのは、愛の表現である。その作法である。」
泣き泣きX光線は申しました。「私には、あなたの胃袋や骨組だけが見えて、あなたの白い膚が見えません。私は悲しいめくらです。」なぞと、これは、読者へのサーヴィス。作家たるもの、なかなか多忙である。