芸術ぎらい
本文約2,700字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
三十六歳の小説家が、芸術的雰囲気という装飾を否定し、正確な描写と主観の重要性を説く随筆を収める。映画や小説において、過去の傑作や芸術性を意識するあまりに陥る滑稽な模倣を批判し、現実を正確に捉えることこそが真の創作であると主張する。芸術と銘打った陶酔や装飾を退け、事実を実直に追求する姿勢こそが必要であると、映画観賞を通した個人的な見解を込めて論じる。
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魯迅の随筆に、「以前、私は情熱を傾けて支那の社会を攻撃した文章を書いた事がありましたけれども、それも、実は、やっぱりつまらないものでした。支那の社会は、私がそんなに躍起となって攻撃している事を、ちっとも知りやしなかったのです。ばかばかしい。」というような文章があって、私はそれを読んでひとりで声を出して笑ってしまった事があるけれども、私が映画に就いて語る場合も、少しそれと似たような結果になるのではあるまいかと思われる。
私は十年来、ひどくまずい小説ばかり書いて来ている三十六歳の男子であって、小説界に於いても私の言説にまじめに耳を傾けてくれるような物好きな人がひとりもいない現状なのだから、いわんや、映画界に於いては、誰も私のつまらぬ名前など知らんのではないかと思われる。名前を知られたって、ろくな事は無いのだし、別段、自分の無名を残念がってもいないのであるが、でも、世間の人は、無名の人の文章は(お互いいそがしいのだから)てんで読もうとしないので、困るのである。私がもし映画統制局々長(そんな官名があるかどうか知らないが)とか何とかの肩書のある男であったなら、「どうも、なんですねえ、娯楽味を忘れては、なりませんですねえ」などと何の意味も無いような意見を述べても、映画界の幹部たちはひとしく感奮し、ただちに映画界の全従業員を集めて、「実にこの娯楽味を忘れてはなりませぬです」という一場の訓辞をこころみるかも知れないのだから、人の気持って微妙なものだ。