井戸の底に埃の溜つた話
本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
野原に佇む共同井戸は、干ばつにより底に埃が溜まり枯れ果てている。水に飢えた子供たちは泥水に浸かって遊び、帰宅後に母親から水を飲まされては叩かれる日々を送る。吝嗇な家主が改修に応じない中、借家人の大人たちは家賃からの修繕費差し引きを画策する。本作は、水枯れによる極限状態から生じる家族の苦悩や社会の歪みを映し出し、井戸の改修作業を通じて逼迫した生活を送る人々の感情を描く。
💰 この本を応援する(投げ銭)
よく田舎にある、野つ原の真ん中に、灌木だの歯朶だのに、穴の縁を茂らせて、底には石や土が、埋めかけて匙を投げてある、あの古井戸の底になら、埃が溜つたつて、別に面白くも可笑しくもない。
ところが、私の今云はうとしてゐる井戸は、一方には夫婦と三人の子供、もう一方には夫婦と二人の子供が、現在住んでゐる、その共通の井戸の事なのである。
その共同の井戸に、然も蓋がしてあるのに、埃が底に溜つてしまつたのである。
空気だの、日光だの、水などと云ふものは、そいつがふんだんにある場合には、些も不自由を感じないし、従つて有難味も分らないものだが、一旦、無いとなると、さあ事だ。
「水が飲みたあい」
と、炎天の下で乾物になりさうな程も、焙られて怒鳴りながら駆けて、帰つた子供たちは、井戸に飛びついてポムプを押すのだが、井戸からは一滴の水も出ないのだ。出るのは、スー、フー、スー、フー、とポムプの溜息ばかりなのだ。
子供は、そこで、おふくろが、どつかから貰ひ水してあるバケツに飛びつく。ところが、その水たるや貴重なものである。洗濯などには一滴たりとも使へはしないし、顔だつて二ヶ月も洗つた事は無いのだ。
さう云ふ貴重な水なれば、子等が飲むのには柄杓に二杯も飲ませはする。
が、子供等が、甘露々々と飲んだ揚句が騒動である。
附近一帯の水涸れで、工面のいい家は、どん/\井戸を掘り下げたり、水道を引いたりして、文字通り「涼しい顔」をしてゐられるのであるが、この埃の溜つた井戸の使用者は借家人であり、その家主は、前代は財布の紐で首でも吊つたんではないか、と疑はざるを得ない吝ん坊なのである。
「井戸から水が出ない」
と借家人が云ふと、
「お天陽様のやる事は、家主が責任を負ふ訳には行かない」
と、この家主の老人は、舌さへ動かし惜しみつゝ答へる。
「それでも隣の家の井戸からは、フンダンに水が出るが」
と云ふと、
「わしは、その隣の井戸を覗いた訳ではない」
酒屋の景品券じやあるまいし、この因業家主は店子を「焙り出す」心算でゐるのだ。
そこで、焙り出されかけた家の子供等は、「水」と云ふものに、原始アラビア人が覚えた程も、驚異と礼讚の念を抱くやうになつたのである。