本文へ移動
TORENDIA

壊滅の序曲

本文約28,900字 ・ 読了時間 約58分

あらすじ(AIが作成しました)

広島の街を訪れた旅人が、粉雪の中に不吉な終末の気配を感じ、友人に手紙を綴る。郷里に戻った正三は、兄の順一や次兄の清二らが戦時下の緊迫した状況で暮らす様を目の当たりにする。建物疎開の危機に瀕した家族が奔走し、日常を保とうと足掻く中、街には静かに原子爆弾の投下まで四十時間を切る時間が流れていた。本作は、戦時下の広島で個人の生活や思惑が交錯する様を、崩壊の予兆と共に描く。

原民喜

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 38

朝から粉雪が降っていた。その街に泊った旅人は何となしに粉雪の風情に誘われて、川の方へ歩いて行ってみた。本川橋は宿からすぐ近くにあった。本川橋という名も彼は久し振りに思い出したのである。むかし彼が中学生だった頃の記憶がまだそこに残っていそうだった、粉雪は彼の繊細な視覚を更に鋭くしていた。橋の中ほどに佇んで、岸を見ていると、ふと、「本川饅頭」という古びた看板があるのを見つけた。突然、彼は不思議なほど静かな昔の風景のなかに浸っているような錯覚を覚えた。が、つづいて、ぶるぶると戦慄が湧くのをどうすることもできなかった。この粉雪につつまれた一瞬の静けさのなかに、最も痛ましい終末の日の姿が閃いたのである。……彼はそのことを手紙に誌して、その街に棲んでいる友人に送った。そうして、そこの街を立去り、遠方へ旅立った。

……その手紙を受取った男は、二階でぼんやり窓の外を眺めていた。すぐ眼の前に隣家の小さな土蔵が見え、屋根近くその白壁の一ところが剥脱していて粗い赭土を露出させた寂しい眺めが、――そういう些細な部分だけが、昔ながらの面影を湛えているようであった。……彼も近頃この街へ棲むようになったのだが、久しいあいだ郷里を離れていた男には、すべてが今は縁なき衆生のようであった。少年の日の彼の夢想を育んだ山や河はどうなったのだろうか、――彼は足の赴くままに郷里の景色を見て歩いた。残雪をいただいた中国山脈や、その下を流れる川は、ぎごちなく武装した、ざわつく街のために稀薄な印象をとどめていた。巷では、行逢う人から、木で鼻を括るような扱いを受けた殺気立った中に、何ともいえぬ間の抜けたものも感じられる、奇怪な世界であった。

原民喜の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本