我に問ふ、何故に久しく文を論ぜざるかと。我は反問せむとす、何故に久しく論ずべき文を出さゞるかと。我が文學上の評論をなさんといひし誓は、今やいたづら事になりなむとす。其咎果して誰が上にか歸すべき。
露伴子はその著當世外道の面に於いて、柔弱者の口を藉りて我に戲れていはく。鴎外は技術論者にして、唯學校教師たるに適すと。是言善く我病に中れり。然れども今の世のありさまは、文を論ずる人に理を説かしむるを奈何せむ。こはわれ一人の上にはあらじ。
近刊の新聞雜誌中、論ずべき文少からざるべし。我眼豆の如く、葡萄の如くにして未だこれを發見せず。幸に今人が文を論じたる文數篇を獲たれば、一日千朶山房に兀坐して、聊又これを論ず。
逍遙子の諸評語
小説三派(小羊漫言七一面より)及梓神子 (春廼舍漫筆一五一面より)
さきにわれ忍月、不知庵、謫天の三人を目して新文界の批評家とせしことあり。當時は實に此三人を除きては、批評を事とする人なかりき。去年より今年(明治二十四年)にかけては、忍月居士の評漸く零言瑣語の姿になりゆき、不知庵の評は漸く感情の境より出でゝ、一種の諦視しがたき理義の道に入りはじめたり。獨り謫天情仙のみ舊に依りて、言ふこと稀なれども、中ること多からむことを求むるに似たり。この間別に注目すべき批評家二人を獲つ。そを誰とかする。逍遙子と露伴子と即是なり。並に是れ自ら詩人たる人にしあれば、いづれも阿堵中の味えも知らざる輩とは、日を同うして論ずべからざる由あらむ。われ固より善詩人は即好判者なりといふものならねど、自ら經營の難きを知るものは、猥に杓子定規うち振りて、鑿その形を殊にして、相容れざるやうなる言をばいかゞ出さむ。二子の文を論ずるや、その趣相距ること遠けれど、約していへば、逍遙子は能くものを容れ、露伴子は能くものを穿つ。左に少しく逍遙子が批評眼を覗かむ。