TRENDIA CLASSIC
水仙
太宰治
1 / 15
「忠直卿行状記」という小説を読んだのは、僕が十三か、四のときの事で、それっきり再読の機会を得なかったが、あの一篇の筋書だけは、二十年後のいまもなお、忘れずに記憶している。奇妙にかなしい物語であった。
剣術の上手な若い殿様が、家来たちと試合をして片っ端から打ち破って、大いに得意で庭園を散歩していたら、いやな囁きが庭の暗闇の奥から聞えた。
「殿様もこのごろは、なかなかの御上達だ。負けてあげるほうも楽になった。」
「あははは。」
家来たちの不用心な私語である。
それを聞いてから、殿様の行状は一変した。真実を見たくて、狂った。家来たちに真剣勝負を挑んだ。けれども家来たちは、真剣勝負に於いてさえも、本気に戦ってくれなかった。あっけなく殿様が勝って、家来たちは死んでゆく。殿様は、狂いまわった。すでに、おそるべき暴君である。ついには家も断絶せられ、その身も監禁せられる。
たしか、そのような筋書であったと覚えているが、その殿様を僕は忘れる事が出来なかった。ときどき思い出しては、溜息をついたものだ。
けれども、このごろ、気味の悪い疑念が、ふいと起って、誇張ではなく、夜も眠られぬくらいに不安になった。その殿様は、本当に剣術の素晴らしい名人だったのではあるまいか。家来たちも、わざと負けていたのではなくて、本当に殿様の腕前には、かなわなかったのではあるまいか。庭園の私語も、家来たちの卑劣な負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。あり得る事だ。僕たちだって、佳い先輩にさんざん自分たちの仕事を罵倒せられ、その先輩の高い情熱と正しい感覚に、ほとほと参ってしまっても、その先輩とわかれた後で、
「あの先輩もこのごろは、なかなかの元気じゃないか。もういたわってあげる必要もないようだ。」
「あははは。」
太宰治の他の作品
TRENDIA CLASSIC
新しい形の個人
主義
太宰治
新しい形の個人主義
太宰治 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
田舎者
太宰治
田舎者
太宰治 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
かくめい
太宰治
かくめい
太宰治 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
「グッド・バイ
」作者の言葉
太宰治
「グッド・バイ」作者の言葉
太宰治 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
「惜別」の意圖
太宰治
「惜別」の意圖
太宰治 ・ 約6分
TRENDIA CLASSIC
「地球圖」序
太宰治
「地球圖」序
太宰治 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
「晩年」と「女
生徒」
太宰治
「晩年」と「女生徒」
太宰治 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
砂子屋
太宰治
砂子屋
太宰治 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
砂子屋
太宰治
砂子屋
太宰治 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
無趣味
太宰治
無趣味
太宰治 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
無題
太宰治
無題
太宰治 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
無趣味
太宰治
無趣味
太宰治 ・ 約1分