神秘昆虫館
本文約104,100字 ・ 読了時間 約209分
あらすじ(AIが作成しました)
深川の茶屋で女役者の阪東小篠に惚れる鐘巻流剣術の名手・一式小一郎は、彼女の望む武士の度胸を試すために辻切りを考える。同じく彼女に言い寄る南部集五郎との争い、田安家や一ツ橋家が入り乱れる永世の蝶を巡る暗闘、そして神秘昆虫館を舞台にした勢力間の対立を描く。小一郎は桔梗という娘を救い出し、周囲の人物の思惑が絡み合う中、蝶の謎を秘めた一団の衝突や武士たちの争いが江戸の地で展開する。
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一
「お侍様というものは……」女役者の阪東小篠は、微妙に笑って云ったものである。「お強くなければなりません」
「俺は随分強いつもりだ」こう答えたのは一式小一郎で、年は二十三で、鐘巻流の名手であり、父は田安家の家臣として、重望のある清左衛門であった。しかし小一郎は仕官していない。束縛されるのが厭だからで、放浪性の持ち主なのである。秀でた眉、ムッと高い鼻、眼尻がピンと切れ上がり、一脈剣気が漂っているが、物騒というところまでは行っていない。中肉中丈、白色である。そうして性質は明るくて皮肉。
「どんなにあなたがお強くても、人を切ったことはございますまい」阪東小篠は云い出した。
「泰平の御世だ、人など切れるか」
「では解らないではございませんか。……はたしてお強いかお弱いか?」
「鐘巻流では皆伝だよ。年二十三で皆伝になる、まあまあよほど強い方さ」一式小一郎は唇を刎ね、ニヤニヤ笑ったものである。
「お侍様というものは、お強くなければいけません」
「だからさ、強いと云っているではないか」
「ねえ、あなた」と阪東小篠は、そそのかすように云い出した。
「一度でも人をお切りになった方は、度胸が決まると申しますねえ」
「どうやらそんな話だな」
「お侍様というものは、度胸がなければいけませんねえ」
「云うまでもないよ」と小一郎は笑止らしく横を向いた。
「あなたに度胸がありますかしら?」
「あるともあるとも大ありだ」
「人を切ったこともない癖に」
「小篠!」と云うと小一郎は、ちょっと睨むように相手を見た。「何か目算がありそうだな」
「何んの何んのどう致しまして」小篠は例によって笑ったが、微妙な笑いであると共に、吸血鬼的の笑いでもあった。「ねえ、あなた、ただ妾はこう云いたいのでございますよ。――すべて女というものは、男が度胸を見せた時、すぐ飛びかかって行くものだとねえ」
「うむ、惚れるということか?」
「はいはいさようでございます」
「なるほど」と云ったが小一郎は、いくらか物憂そうに考え込んだ。と、話題をヒョイと変えた。
「それはそうとオイ小篠、南部集五郎はやって来るのかな?」
「よくお呼びしてくださいます」
「あいつも根気がいい方だなあ」