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TORENDIA

澄江堂雑記

本文約15,600字 ・ 読了時間 約32分

あらすじ(AIが作成しました)

絵画、小説、芸術至上主義、歴史小説など、文学から世相まで多岐にわたる題材を縦横無尽に綴る随筆集。著者は自らの芸術観を語る傍ら、同時代の作家の作品や先人の逸話、官憲との衝突、江戸時代の文芸に対する考察などを通じ、個々の事象に潜む矛盾や真実を鋭く分析する。人生における一切の情熱を肯定し、既存の価値観や形式に捉われない独自の視点から、創作と現実に向き合う姿勢を全篇を通して描き出す。

芥川龍之介

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一 大雅の画

僕は日頃大雅の画を欲しいと思つてゐる。しかしそれは大雅でさへあれば、金を惜まないと云ふのではない。まあせいぜい五十円位の大雅を一幅得たいのである。

大雅は偉い画描きである。昔、高久靄崖は一文無しの窮境にあつても、一幅の大雅だけは手離さなかつた。ああ云ふ英霊漢の筆に成つた画は、何百円と雖も高い事はない。それを五十円に値切りたいのは、僕に余財のない悲しさである。しかし大雅の画品を思へば、たとへば五百万円を投ずるのも、僕のやうに五十円を投ずるのも、安いと云ふ点では同じかも知れぬ。芸術品の価値も小切手や紙幣に換算出来ると考へるのは、度し難い俗物ばかりだからである。

Samuel Butler の書いた物によると、彼は日頃「出来の好い、ちやんと保存された、四十シリング位のレムブラント」を欲しがつてゐた。処が実際二度までも莫迦に安いレムブラントに遭遇した。一度は一磅と云ふ価の為に買はなかつたが、二度目には友人の Gogin に諮つた上、とうとうそれを手に入れる事が出来た。その画はどう云ふ画だつたか、どの位の金を払つたか、それはどちらも明らかではない。が、買つた時は千八百八十七年、買つた場所はストランド(ロンドン)の或質店の店さきである。

かう云ふ先例もあつて見ると、五十円の大雅を得んとするのは、必しも不可能事ではないかも知れぬ。何処か寂しい町の古道具屋の店に、たつた一幅売り残された、九霞山樵の水墨山水――僕は時時退屈すると弥勒の出世でも待つもののやうに、こんな空想にさへ耽る事がある。

二 にきび

昔「羅生門」と云ふ小説を書いた時、主人公の下人の頬には、大きい面皰のある由を書いた。当時は王朝時代の人間にも、面皰のない事はあるまいと云ふ、謙遜すれば当推量に拠つたのであるが、その後左経記に二君とあり、二君又は二禁なるものは今日の面皰である事を知つた。二君等は勿論当て字である。尤もかう云ふ発見は、僕自身に興味がある程、傍人には面白くも何ともあるまい。

三 将軍

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