TRENDIA CLASSIC

東京小品

芥川龍之介

1 / 6

自分は無暗に書物ばかり積んである書斎の中に蹲つて、寂しい春の松の内を甚だらしなく消光してゐた。本をひろげて見たり、好い加減な文章を書いて見たり、それにも飽きると出たらめな俳句を作つて見たり――要するにまあ太平の逸民らしく、のんべんだらりと日を暮してゐたのである。すると或日久しぶりに、よその奥さんが子供をつれて、年始旁々遊びに来た。この奥さんは昔から若くつてゐたいと云ふ事を、口癖のやうにしてゐる人だつた。だからつれてゐる女の子がもう五つになると云ふにも関らず、まだ娘の時分の美しさを昨日のやうに保存してゐた。

その日自分の書斎には、梅の花が活けてあつた。そこで我々は梅の話をした。が、千枝ちやんと云ふその女の子は、この間中書斎の額や掛物を上眼でぢろぢろ眺めながら、退屈さうに側に坐つてゐた。

暫くして自分は千枝ちやんが可哀さうになつたから、奥さんに「もうあつちへ行つて、母とでも話してお出でなさい」と云つた。母なら奥さんと話しながら、しかも子供を退屈させない丈の手腕があると思つたからである。すると奥さんは懐から鏡を出して、それを千枝ちやんに渡しながら「この子はかうやつて置きさへすれば、決して退屈しないんです」と云つた。

何故だらうと思つて聞いて見ると、この奥さんの良人が逗子の別荘に病を養つてゐた時分、奥さんは千枝ちやんをつれて、一週間に二三度宛東京逗子間を往復したが、千枝ちやんは汽車の中でその度に退屈し切つてしまふ。のみならず、その退屈を紛らしたい一心で、勝手な悪戯をして仕方がない。現に或時はよその御隠居様をつかまへて「あなた、仏蘭西語を知つていらつしやる」などととんでもない事を尋ねたりした。そこで奥さんも絵本を渡したり、ハモニカをあてがつたり、いろいろ退屈させない心配をしたが、とうとうしまひに懐鏡を持たせて置くと、意外にも道中おとなしく坐つてゐる事実を発見した。千枝ちやんはその鏡を覗きこんで、白粉を直したり、髪を掻いたり、或は又わざと顔をしかめて見り、鏡の中の自分を相手にして、何時までも遊んでゐるからである。

芥川龍之介の他の作品