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TORENDIA

沼

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

昼か夜かもわからぬ沼のほとりを歩き続ける「おれ」は、芦の向こうにある不思議な世界へ憧れを抱く。遠くから聞こえる音楽や甘い香りに誘われ、そこへ至るために沼へ身を投げる。水底へ沈んだ先で「おれ」は、自らの死骸の口から伸びた茎が水面で白い睡蓮の花を咲かせるのを目にする。死してなお、その花を見つめることで自身の追い求めた不思議な世界に到達したと確信する姿を描く。

芥川龍之介

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🎧 沼 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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おれは沼のほとりを歩いてゐる。

昼か、夜か、それもおれにはわからない。唯、どこかで蒼鷺の啼く声がしたと思つたら、蔦葛に掩はれた木々の梢に、薄明りの仄めく空が見えた。

沼にはおれの丈よりも高い芦が、ひつそりと水面をとざしてゐる。水も動かない。藻も動かない。水の底に棲んでゐる魚も――魚がこの沼に棲んでゐるであらうか。

昼か、夜か、それもおれにはわからない。おれはこの五六日、この沼のほとりばかり歩いてゐた。寒い朝日の光と一しよに、水のや芦のひがおれの体を包んだ事もある。と思ふと又枝蛙の声が、蔦葛に蔽はれた木々の梢から、一つ一つかすかな星を呼びさました覚えもあつた。

おれは沼のほとりを歩いてゐる。

沼にはおれの丈よりも高い芦が、ひつそりと水面をとざしてゐる。おれは遠い昔から、その芦の茂つた向うに、不思議な世界のある事を知つてゐた。いや、今でもおれの耳には、Invitation au Voyage の曲が、絶え絶えに其処から漂つて来る。さう云へば水のや芦のと一しよに、あの「スマトラの忘れな艸の花」も、蜜のやうな甘いを送つて来はしないであらうか。

昼か、夜か、それもおれにはわからない。おれはこの五六日、その不思議な世界に憧がれて、蔦葛に掩はれた木々の間を、夢現のやうに歩いてゐた。が、此処に待つてゐても、唯芦と水とばかりがひつそりと拡がつてゐる以上、おれは進んで沼の中へ、あの「スマトラの忘れな艸の花」を探しに行かなければならぬ。見れば幸、芦の中から半ば沼へさし出てゐる、年経た柳が一株ある。あすこから沼へ飛びこみさへすれば、造作なく水の底にある世界へ行かれるのに違ひない。

おれはとうとうその柳の上から、思ひ切つて沼へ身を投げた。

おれの丈より高い芦が、その拍子に何かしやべり立てた。水が呟く。藻が身ぶるひをする。あの蔦葛に掩はれた、枝蛙の鳴くあたりの木々さへ、一時はさも心配さうに吐息を洩らし合つたらしい。おれは石のやうに水底へ沈みながら、数限りもない青い焔が、目まぐるしくおれの身のまはりに飛びちがふやうな心もちがした。

昼か、夜か、それもおれにはわからない。

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