TRENDIA CLASSIC

二筋の血

石川啄木

1 / 15

夢の樣な幼少の時の追憶、喜びも悲みも罪のない事許り、それからそれと朧氣に續いて、今になつては、皆、仄かな哀感の霞を隔てゝ麗かな子供芝居でも見る樣に懷かしいのであるが、其中で、十五六年後の今日でも猶、鮮やかに私の目に殘つてゐる事が二つある。

何方が先で、何方が後だつたのか、明瞭とは思出し難い。が私は六歳で村の小學校に上つて、二年生から三年生に進む大試驗に、私の半生に唯一度の落第をした。其落第の時に藤野さんがゐたのだから、一つは慥か二度目の二年生の八歳の年、夏休み中の出來事と憶えてゐる。も一つも、暑い盛りの事であつたから、矢張其頃の事であつたらう。

今では文部省令が嚴しくて、學齡前の子供を入學させる樣な事は全く無いのであるが、私の幼かつた頃は、片田舍の事でもあり、左程面倒な手續も要らなかつた樣である。でも數へ年で僅か六歳の、然も私の樣に弱い者の入學るのは、餘り例のない事であつた。それは詰り、平生私の遊び仲間であつた一歳二歳年長の子供等が、五人も七人も一度に學校に上つて了つて、淋しくて/\耐らぬ所から、毎日の樣に好人物の父に強請つた爲なので、初めの間こそお前はまだ餘り小さいからと禁めてゐたが根が惡い事ぢや無し、父も内心には喜んだと見えて、到頭或日學校の高島先生に願つて呉れて、翌日からは私も、二枚折の紙石盤やら硯やら石筆やらを買つて貰つて、諸友と一緒に學校に行く事になつた。されば私の入學は、同じ級の者より一ヶ月も後の事であつた。父は珍らしい學問好で、用のない冬の晩などは、字が見えぬ程煤びきつて、表紙の襤褸になつた孝經やら十八史略の端本やらを持つて、茶話ながら高島先生に教はりに行く事などもあつたものだ。

石川啄木の他の作品