TRENDIA CLASSIC

火の踵

原民喜

1 / 14

……音楽爆弾。

突然、その言葉が頭の一角に閃光を放つと、衝撃によろめくやうにしながら人混のなかで立留まつてゐた。たつた今、無所得証明書とひきかへに封鎖預金から千円の生活費を引出せたので、その金はポケツトの中にあつた。それほどの金では一ケ月の生活を支へることも不可能だつたが、その金すら、いつ紙屑同然のものと化するかわからない。今も今、ポケツトの中の新円は加速度で価値を低下しつつある。それどころか、たしかに彼のやうな男の生存をパツと剥ぎ奪つてしまふ不可知の装置が、彼の感知できない場所で既に着々と準備されてゐる。――さうした念想が踵の方まで流れかけてゆくと左右の雑沓が急に緊迫して音響を喪つてゐた。

……音楽爆弾。

突如、その言葉が通り過ぎると、冷やりとした一瞬がすぎ、眼の前の雑沓はまた動きだしてゐた。彼の体も二三歩動きはじめた。だが、脳裏を横切つた閃光は、遙か遠方で無限に拡大してゆくらしく、それを想つただけでも耐らなく頭が火照る。体全体が熱と光のくるめきに、つん裂かれさうになつた。いけない、いけない、と彼は努めて平静を粧ひ、雑沓の中を進んだ。が、爆発しさうなものは爪さきまで走り廻つた。

省線駅入口に向ふ路が露店を並べて狭まつてゐた。彼はライター修繕屋のテーブルに眼をとめ、ピカピカ光る金属を視つめた。(今、何ごとも発生してはゐない。すべてはもとのままではないか。)だが、衝撃は刻々と何処かで拡大されてゆくやうにおもへた。もう一度、遭難地点を吟味するやうに、さきほどから自分の歩いてゐる場所を振りかへつてみた。銀行から電車通を抜けてK駅にむかふ路の入口まで来たとき、恰度その時、突然あの言葉が閃いたのだつた。

原民喜の他の作品