TRENDIA CLASSIC

長崎の鐘

原民喜

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No more Hiroshima! これは二度ともう広島の惨禍を繰返すな、といふ意味なのだらうが、ときどき僕は自分自身にむかつて、かう呟く。広島のことはもう沢山だ。どうして僕は原子爆弾のことばかり書いたり考へたりするのだらう、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ヒロシマ……と。それだのにふと街を歩いてゐて電車のスパークを視ただけでも、僕の思考は真二つに引裂かれ、パツと何もかも地上一切のものを剥ぎとつてしまふ一刹那がすぐ向ふに描かれるのだ……。

昭和二十年八月九日、広島から四里あまり離れた地点で、僕は防空壕の中にゐた、あの不思議な新兵器のことは、この附近の人にも知れ渡つてゐたが、まだ何といふ呼び方をするのか判らなかつた。壕のなかで一人の青年が僕に話しかけた。

「京都もやられたさうですね、あれに」

あれに……。あれは今もすぐ頭上に閃くかもしれなかつた。京都も大阪も東京も、そんな地名や場所がまだ存在してゐるのかしらと遭難者である僕はその時考へてゐたものだ。警報が出るたびに、あれは僕たちを脅かしつづけた。

僕があれの名称を知つたのは八月十六日だつた。新聞の届かない僕たちのところへ、町からやつて来た甥がゲンシと耳なれぬ発音をした。と、ゲンシといふ音から僕はいきなり原始といふイメージが閃いた。あの僕の眼に灼きつけられてゐる赤く爛れたむくむくの死体と黒焦の重傷者の蠢く世界が、何だか原始時代の悪夢のやうにおもへた。ふと全世界がその悪夢の方へづるづる滑り墜ちるのではないかとおもへたものだ。

しかし、もう戦争は終つてゐたのだ。戦争は終つたのだといふ感動が、それから間もなく僕に「夏の花」を書かせた。あのやうに大きな事柄に直面すると、人間のもつ興奮や誇張感は一応静かに吹きとばされるやうである。僕は自分が体験した八月六日の生々しい惨劇を、それがまだ歪まないうちに、出来るだけ平静に描いたつもりである。

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