自伝
本文約4,100字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
幼少期より小説に親しんだ三島霜川は、長谷川二葉亭の「あひびき」等に触発され、医者の家系という周囲の期待に抗いながら小説家を志す。父との確執を経て上京し、経済的困窮や父の急死といった試練に直面しながらも、桐生悠々との出会いや文学への情熱を支えに創作活動を続けた。やがて「一つ岩」や「埋れ井戸」を執筆し、新聞社への入社を通じて本格的に文壇へと足を踏み入れる過程を綴る。
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幼い時から、小説類を讀むことが好きで、十二三の頃から古いものでは水滸傳だとか三國志だとか、新らしいものでは涙香の飜譯物や、南翠の作を好んで讀んだ。無論、其時分は文學なるものゝ意味が分つて讀んだのでもなければ、又、文學者にならうと思つたのでもない。唯、譯も分らず好きで面白くて無茶苦茶に讀んだのである。
其中に十七八の頃、國民之友の附録かなんかで、長谷川二葉亭氏の例の「あひびき」を讀んで、何たか小説家になつて見たいやうな氣がした。が、其時代は文藝が今ほど社會に眞面目に認められては居らず。誰に云ふとも、誰に相談するともなく、私かに自分で考へて居たまゝである。
然し、然うした小説類を暇さへあれば耽讀して居る中に、無味乾燥な教科書類が面白くなく、親父の入れると云ふ學校にも入らず、毎日ぶら/″\して、好きな小説に讀み耽つて二三年間と云ふもの、怠け者のやうに要領を得ずに暮した。其間に些つと金澤へ行つたことがある。
十九の年、それまで誰にも話さなかつた小説家になりたいと云ふ志願を親父に打ち明けて、其許しを乞うた。所が一體僕の家と云ふのが、古くから代々醫者で、僕の知つて居る所では、四代だけは明らかである。それで親父は一かどの醫者にする意りでゐたのだから、文學者志望を許して呉れない。何うしても醫者になれと云ふ。實は、親父自身も醫者が大の嫌ひで、政治家にならうとして、何彼と理屈をつけては家の稼業はおつ放り投げて飛び出し、三十になるまでも方々を放浪して歩き廻つたものである。