昔の女
本文約12,600字 ・ 読了時間 約26分
あらすじ(AIが作成しました)
埃深い二軒長屋で母親と暮らす由三は、定職もなく無為な日々を送っている。貧困と敗残の気配が漂う生活の中で、由三はかつて親しかった女性・綾を思い出し、肖像画を買い求める。しかし、現実の生活の空虚さに苛まれ、購入した肖像画を戸棚の奥へ隠してしまう。物語は、閉塞した日常の中で抱える焦燥や、過去の記憶との距離感に直面しながら生きる主人公の姿を描く。
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埃深い北向の家である。低い木ッ葉屋根の二軒長屋で、子供の多い老巡査が住み荒して行ッた後だ。四畳半と三畳と並んで、其に椽が付いて南に向ッてゐる。で日は家中に射込むて都て露出し……薄暗い臺所には、皿やら椀やら俎板やらしちりんやらがしだらなく取ツちらかツてゐるのも見えれば、屡く開ツ放してある押入には、蒲團綿やら襤褸屑やら何んといふこともなくつくね込むであるのも見える。障子は夏、外したまゝで、残らず破れたなり煤けたなりで便所の傍にたてかけてある。もう朝晩は秋の冷気が身に沁むほどだといふに、勝見一家の倦怠とやりツぱなしは、老巡査一家の其にも増して、障子を繕ツて入れるだけの面倒も見ない。雨でも降るとスッカリ雨戸を閉切ツて親子四人微暗い裡に何がなしモゾクサしていじけ込むてゐる。天気の好い日でも格子戸の方の雨戸だけは閉切ツて、臺所口から出入してゐる。幾ら水を換へて置いても、雨上りには屹度、手水鉢の底に蚯蚓が四五匹づゝウヨ/\してゐた。家が古いから屋根から流れ込むのであらう。主人の由三は、卅を越した年を尚だ独身で、萬事母親に面倒を掛けてゐた。
由三は何処に勤めるでもない。何時も何か充らないやうな、物足りぬ顔で大きな古机の前に坐り込むでゐるが、飽きるとゴロリ横になツて、貧乏揺をしながら何時とはなく眠ツて了ふ。何うかすると裏の田園に散歩に出掛けることもある。机の上には、いかな日でも原稿用紙と筆とが丁と揃ツてゐないことはないが、それでゐて滅多と原稿の纒ツた例がない。頭がだらけきツて、正體がないからだ。
今日も由三は十一時頃に起きて、其から二三時間もマジリ/\してゐて、もう敷島の十二三本も吸ツた。吸殼は火鉢の隅に目立つやうに堆になツて、口が苦くなる、頭もソロ/\倦くなツて來て、輕く振ツて見ると、后頭が鉛でも詰めてあるやうに重い。此うなると墨を磨るのさへ懶い、で、妄と生叺だ。臺所傍の二畳でも母親が長い叺をする……眼鏡越しに由三の方を見て、
「隣りのお婆さん、何うなすツたかナ。」と獨言のやうにいふ。返事がなかツたので、更に押返して
「亡くなツたかナ。」
と頼りなげな聲だ。