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TORENDIA

獅子舞と石橋

本文約1,700字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

能楽の「石橋」における獅子舞の形式やその変遷、芸能としての獅子舞の歴史を考察する。能の「石橋」と、延年舞の「声明師詣二清凉山一事」との関連性を探り、獅子の姿や構成の変化を辿る。また、歌舞伎における獅子舞が「石橋」の様式を流し込んだものであることや、民俗舞踊式の獅子との系譜の違い、江戸時代の歌舞伎所作事における獅子舞の多様な展開を解説し、能楽以前から存在した獅子舞の源流やその影響関係を論じる。

折口信夫

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🎧 獅子舞と石橋 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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能楽の獅子舞には、本式に、赤頭に獅子口の面をつけて出る石橋と、望月や内外詣のやうに、仮面の代りに扇をかづき、赤頭をつけるのとがある。現実の獅子として出て来るのが石橋で、獅子芸で世を渡る芸能者の役を勤める場合、扇をつけて出る訣なのである。小沢刑部・伊勢の神主などは、望まれて世間の獅子芸能を舞ふのである。

江戸時代の歌舞妓所作事の獅子舞で、石橋うつしでありながら、扇に牡丹をつけ、赤頭で舞つたものゝ多かつたのは、見当違ひである。本行らしく為立て直した連獅子・鏡獅子の類は、石橋物らしい姿に還つた訣である。だが石橋は法被半切など言ふ姿で、首から下は全くの人である。だが、能楽以前は、石橋系統の獅子舞があつたとすれば、恐らく胴体も四つ脚も、やはり獣類の姿を模したものだつたらう。能の獅子へ来る一つ前の形は、延年舞の中にあつたのではなからうか。趣向の石橋に並行してゐるのは、延年小風流の「声明師詣二清凉山一事」と言ふ曲である。奥州出の僧一人、声明研究の為に都へ上る。又一人の僧、これと道で遇ふ。其志を聞いて、それなら一層本元の唐土の五台山、清凉山へ渡つたがよいと言ふ。奥州の僧、なる程昔寂昭法師――大江定基――も其山へ参詣して、種々不思議を見たと聞いてゐる。案内してくれ、お伴しよう、と言ひ出す。やがて清凉山に達する。こゝは文殊の浄土だ。法号を唱へ、祈念せよと言ふ。

笙歌遥に聞え候 孤雲の上。是は聖衆の来迎か。まのあたりなる奇特かな。

とある。寂昭の作と言はれた詩の一部だが、石橋の中入前にも、これに似た文がある。

能なら、後じてと言ふ風で、そこへ文殊菩薩獅子に乗つて、脇士二人を従へて出る。汝等の志にめでゝ現れ、声明の秘曲を授け給ふ、と言ふ。旅の僧、このついでに、極楽の歌舞の曲を見せ給へ、と願ふ。心安いこと。それでは見せてやらうと言つて、囃しになる。

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