TRENDIA CLASSIC

或る女

林芙美子

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何時ものやうに歸つて來ると、跫音をしのばせて梯子段へ足さぐりで行つたが、梯子段の下の暗がりで、良人の堂助が矢庭に懷中電燈をとぼした。たか子はぎくつとして小さい叫び聲を擧げた。

「何さ‥‥まだ、あなた、起きていらつしたの?」

「寢てればよかつたのかい?」

「厭アな方ねえ、一寸遲くなるとこれなンですもの‥‥あなたのお時計、いま幾時なンですの?」

さう云つて、たか子は暗がりの中へつつ立つてゐる堂助の方へ手を泳がせて良人の腕時計のある手首をつかんだ。

「パパ一寸それ照らして頂戴」

堂助は素直に懷中電燈をつけた。腕時計の針は丁度十二時に十五分前を差してゐる。

「あら、本當ねえ、隨分遲いわ‥‥ごめんなさい」

「‥‥‥‥」

「でも、吃驚したわ、パパそこへ立つていらつして‥‥」

「俺が立つてゐたからつて、そんなに驚くこたアないぢやないか‥‥」

「誰だとおもつたからよ‥‥」

「ふふん、佐々のおばけとでもおもつたかい?」

「まア、厭だ! それ皮肉でおつしやるの?」

「皮肉ぢやないよ‥‥」

堂助は、ふふんと口のなかで笑つて、懷中電燈を照しながら、さつさと二階へあがつて行つた。(何だつて、あのひとは懷中電燈など持ち出したンだらう‥‥)

たか子はわざと荒々しく、廊下のスヰイツチをひねつた。四圍が森閑としてゐるので、堂助が書齋の革椅子をきしませて腰をかけてゐるのまで階下へきこえて來る。

たか子は化粧部屋へ這入つて着物をぬいだ。着物をぬぎながら、たか子は瞼に涙のたまるやうな熱いものを感じた。

寢卷きに着替へて二階の寢室へあがつて行つたが、堂助は書齋の灯をつけて何時までも起きてゐる樣子だつた。

「パパ、おやすみにならないの?」

「ああ」

「何故? 何を怒つてらつしやるの?」

たか子は寢床から起きあがると、良人の部屋へはいつて行つた。堂助は窓を明けて、星空を眺めながら煙草を吸つてゐた。

「あら、綺麗なお星樣だこと‥‥」

たか子は、太つた躯を堂助の膝の處へ持つて行つたが、堂助は小さい聲で、

「厭だ」と云つて、窓ぶちへ立つて行つた。

「何、そんな怖い顏して憤つてらつしやるの、だつて、今日は遠藤さんの出版記念の會ぢやありませんか、遲くなるの仕方ないわ」

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