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TORENDIA

ダス・ゲマイネ

本文約21,500字 ・ 読了時間 約43分

あらすじ(AIが作成しました)

二十五歳の「私」は、失恋の傷を抱えて上野公園の甘酒屋に通う。そこで奇妙な銀鼠色の外套を羽織った音楽学校生の馬場と、能面のような顔立ちの画家佐竹に出会う。大学の講義と甘酒屋での日々の中で、三人は奇妙な親交を深めていく。自己の存在や狂言じみた嘘に翻弄されながら、彼らは周囲の人々や自らの葛藤と対峙する。ある日、甘酒屋の看板娘である菊をめぐる複雑な感情や、虚無感と自意識が交錯する中で、彼らの生活は次第に均衡を失っていく。

太宰治

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一 幻燈

当時、私には一日一日が晩年であった。

恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。それより以前には、私の左の横顔だけを見せつけ、私のおとこを売ろうとあせり、相手が一分間でもためらったが最後、たちまち私はきりきり舞いをはじめて、疾風のごとく逃げ失せる。けれども私は、そのころすべてにだらしなくなっていて、ほとんど私の身にくっついてしまったかのようにも思われていたその賢明な、怪我の少い身構えの法をさえ持ち堪えることができず、謂わば手放しで、節度のない恋をした。好きなのだから仕様がないという嗄れた呟きが、私の思想の全部であった。二十五歳。私はいま生れた。生きている。生き、切る。私はほんとうだ。好きなのだから仕様がない。しかしながら私は、はじめから歓迎されなかったようである。無理心中という古くさい概念を、そろそろとからだで了解しかけて来た矢先、私は手ひどくはねつけられ、そうしてそれっきりであった。相手はどこかへ消えうせたのである。

友人たちは私を呼ぶのに佐野次郎左衛門、もしくは佐野次郎という昔のひとの名でもってした。

「さのじろ。――でも、よかった。そんな工合いの名前のおかげで、おめえの恰好もどうやらついて来たじゃないか。ふられても恰好がつくなんてのは、てんからひとに甘ったれている証拠らしいが、――ま、落ちつく」

馬場がそう言ったのを私は忘れない。そのくせ、私を佐野次郎なぞと呼びはじめたのは、たしかに馬場なのである。私は馬場と上野公園内の甘酒屋で知り合った。清水寺のすぐちかくに赤い毛氈を敷いた縁台を二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合った。

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