TORENDIA
高瀬舟縁起
森鴎外
TORENDIA
高瀬舟縁起
本文約1,300字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
京都の高瀬川を舞台に、徳川時代、遠島を言い渡された罪人を護送する同心の視点から物語を展開する。兄弟殺しの罪で送られる男は、自らの境遇を語り、同心に財産への観念や、苦しむ死に瀕した者を死なせることが殺人にあたるのかという倫理的な問いを突きつける。本書は『翁草』の一節に触発され、安楽死や貧困という極めて重い倫理的・社会的な二つの問題を提示し、それらが持つ深い意味と葛藤を考察する。
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🎧 高瀬舟縁起 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん
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京都の高瀬川は、五條から南は天正十五年に、二條から五條までは慶長十七年に、角倉了以が掘つたものださうである。そこを通ふ舟は曳舟である。原來たかせは舟の名で、其舟の通ふ川を高瀬川と云ふのだから、同名の川は諸國にある。しかし舟は曳舟には限らぬので、和名鈔には釋名の「艇小而深者曰」とあるの字をたかせに當ててある。竹柏園文庫の和漢船用集を借覽するに、「おもて高く、とも、よこともにて、低く平なるものなり」と云つてある。そして圖にはで行る舟がかいてある。
徳川時代には京都の罪人が遠島を言ひ渡されると、高瀬舟で大阪へ廻されたさうである。それを護送して行く京都町奉行附の同心が悲しい話ばかり聞せられる。或るとき此舟に載せられた兄弟殺しの科を犯した男が、少しも悲しがつてゐなかつた。其仔細を尋ねると、これまで食を得ることに困つてゐたのに、遠島を言ひ渡された時、銅錢二百文を貰つたが、錢を使はずに持つてゐるのは始だと答へた。また人殺しの科はどうして犯したかと問へば、兄弟は西陣に傭はれて、空引と云ふことをしてゐたが、給料が少くて暮しが立ち兼ねた、其内同胞が自殺を謀つたが、死に切れなかつた、そこで同胞が所詮助からぬから殺してくれと頼むので、殺して遣つたと云つた。