自由の使徒・島田三郎
本文約17,500字 ・ 読了時間 約36分
あらすじ(AIが作成しました)
島田三郎の思想と活動を、木下尚江が自身の視点から綴る。大正十二年の闘病中、政治の悪化は国民の道念頽廃にあると論じる先生との対話を通じて、著者は国民の苦悩を背負うその姿を尊ぶ。また明治二十三年の講演を引用し、政治問題から社会問題への転換を説いた先見性に触れるほか、条約励行運動や横浜での選挙戦、新聞言論を通じた社会不正への追及など、生涯をかけて自由と正義を追求し続けた政治家の軌跡を描く。
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幸福なる思ひ出
若き友よ。
僕が島田三郎先生を語るとなれば、直ぐに一つの場面が目に浮ぶ。
大正十二年、この年は正月早々から先生は身心の疲労で、議会へも出なされず一切来客を謝絶して、番町の自邸で静養して居られた。かゝる時、僕のやうな世務に全く無交渉の者は幸福で、時々お邪魔して、自由にお話することが出来た。
或日、先生は、この社会多事の時に、病体で引き籠つて居るのが如何にも恥づかしいと言はれるので、僕は強く頭を振つて反対した。
『僕は然うは思ひません。先生が過去幾十年、言論文章で奮闘なされたよりも、今日病んで黙つて居なさる方が、何程大事業か知れないと、僕は信じて居ます』
『それは、どう云ふわけですか』
と先生は不思議さうに僕の顔を見られるので、僕は、先年先生が始めて普通選挙問題を提出して、世上の物議を起しなさつた折の事を思出して、先生に言うた。
『あの時、僕は「先生は普通選挙に依て政治の頽廃を救ふことが出来ると云ふ御信念ですか」とお尋ねしました所、先生は「それは違ふ。普通選挙の主唱は政治上の義務である。政治は今後益々悪化する」かう仰つしやいました。この御一言で僕は先生の御胸中を明白に知ることが出来たやうに感じましたので、直ぐ話頭を転じて他の話に移つたことを記憶して居ますが――』
『然うです。私も能く記憶して居ります』
と先生は首肯かれた。そこで僕は突き込んでお尋ねした。
『然らば、何故に政治は益々悪化致しますか』
『それは、国民の道念が頽廃したからです』
『国民の道念は何故に頽廃しましたか』
『それは、儒教で言へば天、基督教で言へば神、この天若くは神と云ふ信念が破滅した為めです』
僕は伸び上がつて言つた。
『御覧なさい。それ程の重い苦悩を、中に担うていらつしやるではありませんか。それが即ち今日先生の御病気ではありませんか。先生今日の御病気は、一個の島田三郎のものでは無い。国民の病を病んで居なさるのだ。更に大きく言へば、今日世界共通の人間の病を病んで居なさるのだ。故に僕は言ひます。先生今日の御病気は、過去一切の御活動よりも遙かに優りたる大事業である』