TRENDIA CLASSIC

校長三代

太宰治

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私が弘前の高等學校にはひつてその入學式のとき、訓辭した校長は、たしか黒金といふ名前であつたと記憶してゐる。金椽の眼鏡を掛け、痩身で、ちよつと氣取つた人であつた。高田早苗に似てゐた。植木が好きで、學校のぐるりに樣々の植木を、優雅に配置し、ときどき、ひとり、兩手をうしろに組んで、その植木の間を、ゆつくり縫つて歩いてゐた。

間もなくゐなくなつて、そのかはりに來たのは、鈴木信太郎氏である。このひとの姓名は、はつきり覺えてゐる。このひとはちよつと失敗した。いまは、どうして居られるか。政治家肌のひとで、多少、政黨にも關係があつたやうである。就任早々、一週を五日として、六日目毎に休日を與へ、授業も毎日午前中だけにしたい、それゆゑに生徒が怠けるとは思はれない。自分は生徒を信じてゐる、といふやうな感想を述べ、大いに生徒たちを狂喜させたが、これは、實現されなかつた。結局、感想にすぎなかつた。けれども他のことを實行した。

一校を一國家と看做し、各クラスより二名づつの代議士を選擧し、學校職員ならびに校友會委員は、政府委員となり、ときどき議會をひらいて、校政を審議するといふやうな謂はば維新を斷行した。

校長自身は、さしづめ一國の宰相とでもいふやうなところであつた。代議士選擧は、さかんであつた。學校の廊下には、べたべた推薦のビラが張られて、選擧事務所なども、ものものしく、或るものは校門の下に立つて、登校の生徒ひとりひとりに名刺を手交し、よろしくたのみます、といつて低くお辭儀をして、或るものは、中學校の先輩といふ義理のしがらみに依つて、後輩を威嚇し、饗應、金錢、などといふばかな噂さへ立つた。

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