岷山の隠士
本文約9,100字 ・ 読了時間 約19分
あらすじ(AIが作成しました)
隴西の産とされる李白は、十歳で県令の小姓となるが、非凡な詩才ゆえに嫉妬を受け出奔する。その後、岷山で道士・東巖子に師事し、軽快洒脱な精神を育む。成人した彼は諸国を放浪し、長安で杜甫と親交を結び、飲中の八仙人として名を馳せる。やがて政治的な混乱に巻き込まれ流刑となるが、恩赦を経て晩年を迎える。最期は釆石江の月を追って水中に消え、仙人として隠士の師と再会する姿を描く。
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「いや彼は隴西の産だ」
「いや彼は蜀の産だ」
「とんでもないことで、巴西の産だよ」
「冗談を云うな山東の産を」
「李広[#「李広」は底本では「季広」]の後裔だということだね」
「涼武昭王の末だよ」
――青蓮居士謫仙人、李太白の素性なるものは、はっきり解っていないらしい。
金持が死ぬと相続問題が起こり、偉人が死ぬと素性争いが起こる。
偉人や金持になることも、ちょっとどうも考えものらしい。
李白十歳の初秋であった。県令の下に小奴となった。
ある日牛を追って堂前を通った。
県令の夫人が欄干に倚り、四方の景色を眺めていた。
穢らしい子供が、穢らしい牛を、臆面もなく追って行くのが、彼女の審美性を傷付けたらしい。
「無作法ではないか、外をお廻り」
すると李白は声に応じて賦した。
「素面欄鉤ニ倚リ、嬌声外頭ニ出ヅ、若シ是織女ニ非ズンバ、何ゾ必シモ牽牛ヲ問ハン」
これに驚いたのは夫人でなくて、その良人の県令であった。
早速引き上げて小姓とした。そうして硯席に侍らせた。
ある夜素晴らしい山火事があった。
「野火山ヲ焼クノ後、人帰レドモ火帰ラズ」
県令は苦心してここまで作った。後を附けることが出来なかった。
「おい、お前附けてみろ」
県令は李白へこう云った。
十歳の李白は声に応じて云った。
「焔ハ紅日ニ隨ツテ遠ク、煙ハ暮雲ヲ逐ツテ飛ブ」
県令は苦々しい顔をした。それは自分よりも旨いからであった。
五歳にして六甲を誦し、八歳にして詩書に通じ、百家を観たという寧馨児であった。田舎役人の県知事などが、李白に敵うべき道理がなかった。
ある日美人の溺死人があった。
で、県令は苦吟した。
「二八誰ガ家ノ女、飄トシテ来リ岸蘆ニ倚ル、鳥ハ眉上ノ翆ヲ窺ヒ、魚ハ口傍ノ朱ヲ弄ス」
すると李白が後を継いだ。
「緑髪ハ波ニ隨ツテ散リ、紅顔ハ浪ヲ逐ツテ無シ、何ニ因ツテ伍相ニ逢フ、応ニ是秋胡ヲ想フベシ」
また県令は厭な顔をした。
で李白は危険を感じ、事を設けて仕を辞した。
詩的小人というものは、俗物よりも嫉妬深いもので、それが嵩ずると偉いことをする。
李白の逃げたのは利口であった。
剣を好み諸侯を干して奇書を読み賦を作る。――十五歳迄の彼の生活は、まずザッとこんなものであった。