TRENDIA CLASSIC
現代訳論語
下村湖人
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「論語」を読む人のために
東洋を知るには儒教を知らなければならない。儒教を知るには孔子を知らなければならない。そして孔子を知るには「論語」を知らなければならない。「論語」は実に孔子を、従って儒教を、また従って東洋を知るための最も貴重な鍵の一つなのである。
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「論語」は、孔子の言行を主とし、それに門人たちの言葉をも加えて編纂したものであるが、すべて断片的で、各篇各章の間に、何等はっきりした脈絡や系統がなく、今日から見ると極めて雑然たる集録に過ぎない。しかし、それだけに、編纂者の主観によってゆがめられた点は比較的少いであろう。
孔子の言葉を記したものとして、「論語」のほかに、しばしば「易」の「十翼」があげられる。しかし、それには、古来学者の間に多くの疑問があり、それを孔子の書であると断定する根拠は薄弱である。従って、今日では、「論語」は不十分ながらも、孔子の言行をうかがうことの出来る、唯一の確実な書とされているのである。
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「論語」編纂の年代、ならびにその編纂者が何びとであるかは、まだ十分つまびらかにされていない。しかし、孔子の没後いくらかの年月をへたあと、すなわち西紀前およそ四百数十年ごろ、門人の門人たちの手によって編纂されたものであることは、ほぼ確実なようである。
「論語」という書名は、孔子直接の門人たちが記録しておいたものについて、編纂者たちが、おたがいに意見を交換し、論議しつつ撰定したという意味で名付けられたものであろうと信ぜられている。
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