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TORENDIA

娘煙術師

本文約264,900字 ・ 読了時間 約530分

あらすじ(AIが作成しました)

春の夜、京都所司代の番士のお長屋へ和歌を書き残す十九歳の娘・お粂。その現場を徳大寺大納言に見咎められるが、彼女は不敵な態度で応じる。物語は、彼女が恋焦がれる山県紋也や、周囲の志士たちとの交錯する人間模様を描く。お粂は、自らの恋心を園子に譲り、煙術を用いて志士たちを京丸へ結集させる。実在の地・京丸を背景に、歴史の裏側で暗躍する人々の活動や絆を題材にした時代物語である。

国枝史郎

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楽書きをする女

京都所司代の番士のお長屋の、茶色の土塀へ墨黒々と、楽書きをしている女があった。

照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものはなしと、歌人によって詠ぜられた、それは弥生の春の夜のことで、京の町々は霞こめて、紗を巻いたように朧であった。

寝よげに見える東山の、円らの姿は薄墨よりも淡く、霞の奥所にまどろんでおれば、知恩院、聖護院、勧修寺あたりの、寺々の僧侶たちも稚子たちも、安らかにまどろんでいることであろう。鴨の流れは水音もなく、河原の小石を洗いながら、南に向かって流れていたが、取り忘れられた晒し布が、二筋三筋河原に残って、白く月光を吸っていた。

祇園の境内では昔ながらの、桜の老木が花を咲かせて、そよろと吹き過ぎる微風につれられ、人に知られず散っていたが、なやましくも艶めかしい眺めであった。

更けまさっても賑やかであると、いいつたえられている春の夜ではあったが、しかし丑満を過ごした今は、大路にも小路にも人影がまばらで、足の音さえもまれまれである。

二条のお城を中心にして、東御奉行所や西御奉行所や、所司代などのいかめしい官衙を、ひとまとめにしているこの一画は、わけても往来の人影がなくて、寂しいまでに静かであった。

と、拍子木の音がしたが、非常を警めているのでもあろう。丸太町あたりと思われる辺から、人をとがめる犬の吠え声が、猛々しくひとしきり聞こえて来たが、拍子木の音の遠のいたころに、これも吠え止めてひっそりとなった。

一軒のお長屋の土塀を越して、白木蓮の花が空に向かって、馨ばしい香いを吐いている。

くもるとも

なにかうらみん

つき今宵

はれを待つべき

みにしあらねば

紅色のかった振り袖を着て、髪を島田に取り上げている、まだ十八、九の年ごろの娘が、一軒一軒お長屋の土塀へ、楽書きをして行く文字といえば、このような一首の和歌なのであった。

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