TRENDIA CLASSIC

二筋の血

石川啄木

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夢の様な幼少の時の追憶、喜びも悲みも罪のない事許り、それからそれと朧気に続いて、今になつては、皆、仄かな哀感の霞を隔てゝ麗かな子供芝居でも見る様に懐かしいのであるが、其中で、十五六年後の今日でも猶、鮮やかに私の目に残つてゐる事が二つある。

何方が先で、何方が後だつたのか、明瞭とは思出し難い。が私は六歳で村の小学校に上つて、二年生から三年生に進む大試験に、私の半生に唯一度の落第をした。其落第の時に藤野さんがゐたのだから、一つは慥か二度目の二年生の八歳の年、夏休み中の出来事と憶えてゐる。も一つも、暑い盛りの事であつたから、矢張其頃の事であつたらう。

今では文部省令が厳しくて、学齢前の子供を入学させる様な事は全く無いのであるが、私の幼かつた頃は、片田舎の事でもあり、左程面倒な手続も要らなかつた様である。でも数へ年で僅か六歳の、然も私の様に弱い者の入学るのは、余り例のない事であつた。それは詰り、平生私の遊び仲間であつた一歳二歳年長の子供等が、五人も七人も一度に学校に上つて了つて、淋しくて/\耐らぬ所から、毎日の様に好人物の父に強請つた為なので、初めの間こそお前はまだ余り小いからと禁めてゐたが、根が悪い事ぢや無し、父も内心には喜んだと見えて、到頭或日学校の高島先生に願つて呉れて、翌日からは私も、二枚折の紙石盤やら硯やら石筆やらを買つて貰つて、諸友と一緒に学校に行く事になつた。されば私の入学は、同じ級の者より一ヶ月も後の事であつた。父は珍らしい学問好で、用のない冬の晩などは、字が見えぬ程煤びきつて、表紙の襤褸になつた孝経やら十八史略の端本やらを持つて、茶話ながらに高島先生に教はりに行く事などもあつたものだ。

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