文字と速力と文学
本文約3,600字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
脳内で流動する多彩な想念に対し、記述する文字の遅さが思考を停滞させたり変質させたりする矛盾を指摘し、文字と速力の関係性について論じる。筆記の非効率的な手順を批判し、思考の即時的な記録の重要性を説く。作家が速記者を必要とする理由や自身の速記法への試み、既存の文字体系が速力に適応していない問題を挙げつつ、慣れ親しんだ文字からの改革には個人の思想活動を犠牲にする弊害があるとし、速力と表現の可能性の狭間で葛藤する苦悩を綴る。
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私はいつか眼鏡をこはしたことがあつた。生憎眼鏡を買ふ金がなかつたのに、机に向かはなければならない仕事があつた。
顔を紙のすぐ近くまで下げて行くと、成程書いた文字は見える。又、その上下左右の一団の文字だけは、そこだけ望遠鏡の中のやうに確かに見えるのである。けれどもさういふ状態では小説を書くことができない。さういふ人の不自由さを痛感させられたのであつた。
つまり私は永年の習慣によつて、眼を紙から一定の距離に置き、今書いた字は言ふまでもなく、今迄書いた一聯の文章も一望のうちに視野にをさめることが出来る、さういふ状態にゐない限り観念を文字に変へて表はすことに難渋するといふことを覚らざるを得なかつた。愚かしい話ではあるが、私が経験した実際はさうであつた。
私は眼を閉ぢて物を思ふことはできる。けれども眼を開けなければ物を書くことはできず、尚甚しいことには、現に書きつゝある一聯の文章が見えない限り、次の観念が文字の形にならないのである。観念は、いつでも、又必らず文字の形で表現なし得るかのやうに思はれるけれども、人間は万能の神ではなく優秀な機械ですらない。私は眼鏡をこはして、その不自由を痛感したが、眼鏡をかけてゐても、その不自由は尚去らない。
私の頭に多彩な想念が逞しく生起し、構成され、それはすでに頭の中で文章の形にととのへられてゐる。私は机に向ふ。私はただ書く機械でさへあれば、想念は容易に紙上の文章となつて再現される筈なのである。が、実際はさう簡単には運んでくれない。
私の想念は電光の如く流れ走つてゐるのに、私の書く文字はたど/\しく遅い。私が一字づゝ文字に突当つてゐるうちに、想念は停滞し、戸惑ひし、とみに生気を失つて、ある時は消え去せたりする。また、文字のために限定されて、その逞しい流動力を喪失したり、全然別な方向へ動いたりする。かうして、私は想念の中で多彩な言葉や文章をもつてゐたにも拘らず、紙上ではその十分の一の幅しかない言葉や文章や、もどかしいほど意味のかけ離れた文章を持つことになる。