文学のふるさと
本文約5,100字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
シャルル・ペローの「赤頭巾」や狂言、伊勢物語の一節を題材に、物語におけるモラルの欠如や救いのなさを論じる評論である。教訓や打算を超越した、残酷で切なく透明な孤独の風景を「文学のふるさと」と定義する。著者は、モラルや社会性は、人間が生存において抱えるこうした絶対的な孤独の自覚の上にこそ成り立ち、文学やその批評の基盤となるべきだと説く。
💰 この本を応援する(投げ銭)
シャルヽ・ペローの童話に「赤頭巾」といふ名高い話があります。既に御存知とは思ひますが、荒筋を申上げますと、赤い頭巾をかぶつてゐるので赤頭巾と呼ばれてゐた可愛い少女が、いつものやうに森のお婆さんを訪ねて行くと、狼がお婆さんに化けてゐて、赤頭巾をムシャ/\食べてしまつた、といふ話であります。まつたく、たゞ、それだけの話であります。
童話といふものには大概教訓、モラル、といふものが有るものですが、この童話には、それが全く欠けてをります。それで、その意味から、アモラルであるといふことで、仏蘭西では甚だ有名な童話であり、さういふ引例の場合に、屡々引合ひに出されるので知られてをります。
童話のみではありません。小説全体として見ても、いつたい、モラルのない小説といふのがあるでせうか。小説家の立場としても、なにか、モラル、さういふものゝ意図がなくて、小説を書きつゞける――さういふことが有り得ようとは、ちよつと、想像ができません。
ところが、こゝに、凡そモラルといふものが有つて始めて成立つやうな童話の中に、全然モラルのない作品が存在する。しかも三百年もひきつゞいてその生命を持ち、多くの子供や多くの大人の心の中に生きてゐる――これは厳たる事実であります。
シャルヽ・ペローといへば「サンドリヨン」とか「青髯」とか「眠りの森の少女」といふやうな名高い童話を残してゐますが、私はまつたくそれらの代表作と同様に、「赤頭巾」を愛読しました。
否、むしろ、「サンドリヨン」とか「青髯」を童話の世界で愛したとすれば、私はなにか大人の寒々とした心で「赤頭巾」のむごたらしい美しさを感じ、それに打たれたやうでした。
愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さといふものが何もない可憐な少女が、森のお婆さんの病気を見舞に行つて、お婆さんに化けて寝てゐる狼にムシャ/\食べられてしまふ。
私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違つたやうな感じで戸惑ひしながら、然し、思はず目を打たれて、プツンとちよん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでせうか。