茶の間はガラあき
本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
第三次世界大戦の危機が叫ばれる中で、和戦両様の構えをとる日本の茶の間の心理と、政府や学者の戦争への思惑を綴る。大国の対立に揺れながらも平和への希望を捨てない庶民の論理に対し、戦争の可能性を強調する政治や学者の姿勢を批判的に論じる。原子爆弾の経験を持ちながら、戦争への掛け声ばかりが大きくなる現状を指摘し、平和が維持される可能性を説きつつ、どこか空虚になっていく日本の茶の間の様相を描写する随筆である。
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第三次世界戦争があるか、ないか。いつ起るか。どこのウチの茶の間の話も、日に一度ぐらいはそれにふれずにいられないような昨今である。そして、どこの茶の間の結論も、要するに「和戦両様の構え」らしい。
むかし――といっても、そう遠い昔ではないが、軍人政治家がよく「和戦両様の構え」と言っていた。今はもっぱら日本の茶の間の態勢である。茶の間には国政を左右する何らの力もないから、もっぱら和戦両様の構えにまわるのは仕方がない。
分らないのは政府や政党の構えだが、あなたも和戦両様ですか? ところがむかしの軍人よりも戦争一本槍の構えのようだな。
思惑で国策をたてるのは弱小国の通例かも知れないが「優秀な」弱小国は必ずしもそうではなかった。
「対立する二大国にはさまれた弱小国は一方に味方のハラをきめなければならない。それとも、どッちつかずにずるく立回ってウマイ汁を狙うつもりかね」
こう両強国の人に開き直られると、政治家や御用学者はシドロモドロらしいが、案外にも茶の間の旦那やオカミサンは、
「いったい、あなた方は本当に戦争するツモリですか? しないツモリですか?」
納得するまでそう訊きただしてみたいと思っているのが少くないのである。
二大強国対立の影に怯える必要はなかろう。現に両強国の頭首は平和への歩み寄りに努力しているではないか。茶の間の論理はその裏面をカンぐるように悪質ではないから、
「まさか平和への道なしと信じて寄り合いを催しているはずはない」
と思いこんでいる。だから、政府や学者文化人の思惑がケッタイで分らない。
たとえば大山郁夫氏がスターリン氏から平和賞を貰うのが不都合だという思惑は茶の間にはない。しかるに先輩友人の学者文化人はそのゴホウビを貰うなと反対だという。茶の間にとっては不可解きわまる思惑だ。
要するに、国家間には永遠に戦争は避けられぬものだという真理がない限り、第三次大戦が不可避だという結論はありッこないね。
一つの見方では、第三次大戦はすでにはじまっていると言える。朝鮮などがその一例だ。そして、名実ともに世界大戦になるかどうかは、ただ原子バクダンをいつ用いるか、にかかっていると言える。