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TORENDIA

盆踊りと祭屋台と

本文約8,200字 ・ 読了時間 約17分

あらすじ(AIが作成しました)

盂蘭盆会や祭礼における精霊・神の降臨と、その依代である標山や髯籠の変遷を綴る。外来の仏教行事と固有の大祓へ思想が融合する中で、精霊を招き寄せるために高燈籠や切籠などの目標が立てられ、祭礼の屋台や練りものがこれらと密接に関係してきた事実を論じる。精霊流しや門松、正月飾りといった行事に共通する標山信仰の痕跡を辿り、一年を通じて行われる季節の祭事や習俗が持つ民族心理と歴史的根拠を明らかにしている。

折口信夫

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一 盂蘭盆と魂祭りと

盆の月夜はやがて近づく。広小路のそゞろ歩きに、草市のはかない情趣を懐しみはするけれど、秋に先だつ東京の盂蘭盆には、虫さへ鳴かない。年に一度開くと言はれた地獄の釜の蓋は一返では済まなくなつた。其に、旧暦が月齢と名を改めてからは、新旧の間を行く在来りの一月送りの常識暦法が、山家・片在所にも用ゐられるやうになつたので、地獄の釜の番人は、真に送迎に遑なきを嘆じてゐるであらう。諺に「盆と節季が一緒に来た」といふ其師走の大祓へに、祭や盆を搗て合せた無駄話しをして見たい。

地獄の釜の休日が、三度あるといふ事は、単に明治・大正の不整頓な社会に放たれた皮肉だと思うてはならぬ。一月・二月・七月・九月・十二月の五回に精霊が戻つて来るものと、古くから信じられてゐた。徒然草の四季の段の終りにも、此頃は都でははやらないが、大晦日の晩に、東国では精霊が来るといふ風に見えてゐる。五度行うた精霊会が、南北朝の頃には、社会的の勢力を失うて、唯一回の盂蘭盆会に帰趨した痕を示したのであるが、七月の盂蘭盆と十二月の魂祭りとは、必古の大祓への遺風であると信じる。かういふ事をいふと、実際神仏混淆の形はあるが、諸君が心中に不服を抱かれる前に、一考を煩はしたい問題がある。

其は民族心理の歴史的根拠を辿つて行つた時に、逢着する事実である。外来の風習を輸入するには、必在来のある傾向を契機としてゐるので、此が欠けてゐる場合には、其風習は中絶すべき宿命を持つてゐるのである。だから力強い無意識的の模倣をする様になつた根柢には、必一種国民の習癖に投合する事実があるのである。

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