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TORENDIA

黄山谷について

本文約1,500字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

黄山谷の書を愛好する著者が、アトリエの壁にかかげた「伏波神祠詩巻」の写真を通じて、その独特な書の魅力を論じる。蘇東坡や米元章ら他の三大家とは異なり、一見すると稚拙で不器用に見える黄山谷の書が、実は内面から溢れ出る気魄と高い品位を備えていることを指摘する。毎朝この書と向き合い、その新鮮な精神の動きに触れることで感じ入る感動と、技術的なうまさを超越した先にある真の書の境地について深く考察する。

高村光太郎

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🎧 黄山谷について / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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平凡社の今度の「書道全集」は製版がたいへんいいので見ていてたのしい。それに中国のも日本のも典拠の正しい、すぐれた原本がうまく選ばれているようで、われわれ門外漢も安心して鑑賞できるのが何よりだ。

今、このアトリエの壁に黄山谷の「伏波神祠詩巻」の冒頭の三句だけの写真がかかげられている。「蒙々篁竹下、有路上壺頭」に始まる個所だ。多分「書道全集」の図版の原型になった写真の大きな複写と思えるが、人からもらった時一見するなり心をうたれて、すぐ壁にかかげたのである。それ以後毎日見ている。黄山谷の書は前から好きであったが、この晩年の書を見るに及んでますます好きになってしまった。

黄山谷の書ほど不思議な書は少い。大体からいって彼の書はまずいように見える。まずいかと思うとまずいともいえない。しかし普通にいう意味のうまさはまず無い。彼は宋代に書家として蘇東坡、米元章と並んで三大家といわれていたが、他の二人とはまるでその性質がちがう。東坡の書も米元章の書も実にうまい。まずいなどという分子はまるでない。どの一字をとってみても巧妙である。そしてやはり唐代の余韻がある。新鮮ではあるが、唐代からの二王や顔真卿の縄張りをそう遠くは離れていない。どちらも妍媚だ。ところが黄山谷と来るとまるで飛び離れている。黄山谷はむしろ稚拙野蛮だ。顔真卿の影響をうけているといわれ、なるほどその趣もあるが、顔魯公よりも自由だ。勝手次第だ。一字ずつみると、その筆法は実に初心で、まるで習いはじめの人のように筆をはねたりする。馬鹿にのんびりしていたり、又くしゃくしゃと書きつめる。線をたるんでいるように書いたり、横に曲げたり、字のつづきも疎密にかまわない。行が片よったり、字くばりがでこぼこだったり、字の大小も方向も気にとめない。そして一々ぎゅっとおさえて書く。何しろひどく不器用に見える。

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