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TORENDIA

山の春

本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

三月の深い雪に覆われた山中にて、雪解けとともに姿を現すフキノトウや山菜などの春の兆しを綴る随筆。厳しい冬の気配がツララとなって去り、命が芽吹く自然の営みと、山の暮らしの中でそれらを食する悦びを活写する。さらに、木々や鳥たちが織りなす春の彩りと、足早に過ぎ去る東北の春の景色を通じ、四季の規律と山の生命力を描き出す。著者は自身の山生活と文化への展望を重ね合わせ、季節の巡りゆく情景を静かに詩的な感性で述懐する。

高村光太郎

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🎧 山の春 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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ほんとうは、三月にはまだ山の春は来ない。三月春分の日というのに、山の小屋のまわりには雪がいっぱいある。雪がほんとに消えるのは五月の中ほどである。つまり、それまで山々にかぶさっていた、氷のように冷たい空気が、五月頃になると、急に北の方へおし流されて、もう十分あたたかくなっている地面の中の熱と、日の光とが、にわかに働きだして、一日一刻も惜しいような山の春があらわれ、又たちまちそれが夏にかわってゆくのである。東北の春のあわただしさは、リンゴ、梅、梨、桜のような、いわゆる春の花の代表が、前後する暇もなく、一時にぱっと開いて、まるで童話劇の舞台にでもいるような気を起させる。これは四月末のことであって、三月にはまだその自然の花々は固い木の芽の中にねむっているのだが、雑誌の三月号といえば、もう誰でも春の話をするにきまっているし、また事実、上野公園あたりの彼岸桜の蕾は毎年きまってほころびはじめる。日本の国は南北に長いので、季節がこんなにずれていて、おかしいようでもあり、又それがおもしろくもおもえる。北の方ではラッセル車が出るというのに、南の方では桃の花が村々にのどかに咲く。

自然の季節に早いところとおそいところとはあっても、季節のおこないそのものは毎年規律ただしくやってきて、けっしてでたらめでない。ちゃんと地面の下に用意されていたものが、自分の順番を少しもまちがえずに働きはじめる。木の芽にしても、秋に木の葉の落ちる時、その落ちたあとにすぐ春の用意がいとなまれ、しずかに固く戸をとじて冬の間を待っている。まったく枯れたように見える木の枝などが、じっさいはその内部でかっぱつに生活がたのしくおこなわれ、来年の花をさかせるよろこびにみちているのである。あの枯枝の梢を冬の日に見あげると、何というその枝々のうれしげであることだろう。

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