TRENDIA CLASSIC

開墾

高村光太郎

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私自身のやつてゐるのは開墾などと口幅つたいことは言はれないほどあはれなものである。小屋のまはりに猫の額ほどの地面を掘り起して去年はジヤガイモを植ゑた。今年は又その倍ぐらゐの地面を起してやはりジヤガイモを植ゑるつもりでゐる。外には三畝ばかりの畑を使はしてもらつて、此処にいろいろの畑作をやつてゐる。今のところそれだけである。無理をするのがいやなので自分の体力と時間とに相当したことだけを今後もやつてゆくつもりである。無理に成績をあげるやうなことをすると、自分の芸術上の仕事にもさしひびくし、体力をも酷使するやうになるに違ひないので、その範囲を明かに判断してかかつてゐる。体力酷使といふことは、一面自分でも大層勉強してゐるやうに感ぜられ、農家などにあつては、労働といへば体力酷使を意味し、引いては体力酷使をしなければ労働でないやうな錯覚を持つに至り、便利な機具などを使ふのは幾分労働忌避を意味するもののやうに考へられる傾さへあるが、これはまことに馬鹿げたことで、体力を酷使せずに必要なだけの仕事の出来るのを目標とせねばならないこと言ふまでもない。むやみに計画を壮大にしてそのために神身を労し過ぎ、仕舞には何のために苦しんでゐるのか分らなくなり、果ては絶望的破壊的な考へ方まで抱くに至るやうな例もままあるのは気の毒である。分相応よりも少し内輪なくらゐに始めるのがいいのだと私は信じてゐる。

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