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TORENDIA

開墾

本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

小屋の周辺を自ら開墾し、ジャガイモや野菜作りを試みる筆者の日々を綴る。体力に見合った範囲で無理をせず、宮沢賢治ゆかりの肥料を用いるなどして痩せた酸性土壌と向き合う。病院通いで畑を離れ、雑草の猛威に直面する困難も経験するが、土地の特性を理解し、地元の住民らと共に自給自足の生活を追求する様子を描く。また、清水野での開拓農の発展を願い、乳製品や工芸品など将来の展望にも触れる。

高村光太郎

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🎧 開墾 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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私自身のやつてゐるのは開墾などと口幅つたいことは言はれないほどあはれなものである。小屋のまはりに猫の額ほどの地面を掘り起して去年はジヤガイモを植ゑた。今年は又その倍ぐらゐの地面を起してやはりジヤガイモを植ゑるつもりでゐる。外には三畝ばかりの畑を使はしてもらつて、此処にいろいろの畑作をやつてゐる。今のところそれだけである。無理をするのがいやなので自分の体力と時間とに相当したことだけを今後もやつてゆくつもりである。無理に成績をあげるやうなことをすると、自分の芸術上の仕事にもさしひびくし、体力をも酷使するやうになるに違ひないので、その範囲を明かに判断してかかつてゐる。体力酷使といふことは、一面自分でも大層勉強してゐるやうに感ぜられ、農家などにあつては、労働といへば体力酷使を意味し、引いては体力酷使をしなければ労働でないやうな錯覚を持つに至り、便利な機具などを使ふのは幾分労働忌避を意味するもののやうに考へられる傾さへあるが、これはまことに馬鹿げたことで、体力を酷使せずに必要なだけの仕事の出来るのを目標とせねばならないこと言ふまでもない。むやみに計画を壮大にしてそのために神身を労し過ぎ、仕舞には何のために苦しんでゐるのか分らなくなり、果ては絶望的破壊的な考へ方まで抱くに至るやうな例もままあるのは気の毒である。分相応よりも少し内輪なくらゐに始めるのがいいのだと私は信じてゐる。

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