少数と多数
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あらすじ(AIが作成しました)
現代社会における群衆精神の弊害と、多数者の意見がもたらす個人の自由への脅威を論じる。政治、教育、芸術のあらゆる分野において「量」が重んじられることで、質や真理、独創性が損なわれている現状を指摘する。著者は、群衆が自らの責任を放棄して指導者に盲従する姿勢を批判し、社会の進歩や真実の創造には、既成概念に囚われない賢明な少数者の妥協なき勇気と決断が不可欠であると説く。
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私は現代の傾向を要約して「量」であると云ひたい。群衆と群集精神とは随所にはびこつて「質」を破壊しつつある。今や私どもの全生活――生産、政治、教育――は全く数と量との上に置かれてゐる。且て自己の作品の完全と質とにプライドを持つてゐた労働者は自己に対しては無価値に一般人類にとつては有害な多額の物品を徒らに産出する無能の自働機械に変つてしまつた。かくして「量」は人生の慰藉と平和とを助くるに反し、唯だ人間の重荷を増加した。
政治に於ては量以外に何物も省みられない。量の増加につれて、主義、理想、正義等は悉く多数者の為に没却せられてしまふ。政治上の種々なる党派は常に虚偽と欺瞞と狡猾と陰謀を逞うして相互の主権を争つてゐる。成功さへすれば勝利者として必ず多数者の歓迎を受ける――彼等は皆さう信じてゐる。成功――それのみが唯一の神。品性に対してどれ程恐しい価を払つてゐるかといふ事はまるで問題にもしてゐない。私どもは今更進んでこの悲しい事実を証拠立てる必要はない。
政府の腐敗と堕落とがあばかれて今の様にはつきりと目前に示されたことはこれまでにないことである。数年の間、人民の権利自由の保護者と仰がれ、社会制度の本綱として全然誹難の外に立つてきた政府がか程迄にユダの如き性質を現はさうとは私どもの全く思ひ設けなかつたところである。