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TORENDIA

魚の憂鬱

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

池のほとりで目にした鯉の不気味な姿に、かつて釣りに興じた少年時代の記憶を重ねる。老魚が抱える倦怠と憂鬱に触れた体験を綴り、魚の生命感や自由さを主題とする古今の絵画作品と、自身の抱く魚の印象を対比させる。作者は、多くの画家が魚の溌刺さを描く一方で、あえて鯉の醜さやグロテスクな味を表現した作品に独自の関心を寄せ、魚という存在が持つ冷たい不気味さや深淵な一面についての考察を収める。

薄田泣菫

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🎧 魚の憂鬱 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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池のほとりに来た。蒼黒い水のおもてに、油のやうな春の光がきらきらと浮いてゐる。ふと見ると、水底の藻の塊を押し分けて、大きな鯉がのつそりと出て来た。そして気が進まなささうにそこらを見まはしてゐるらしかつたが、やがてまたのつそりと藻のなかに隠れてしまつた。

私はそれを見て、以前引きつけられた支那画の不思議な魚を思ひ出した。

私は少年の頃、よく魚釣に出かけて往つた。ある時、鮒を獲らうとして、小舟に乗つて、村はづれの池に浮んだことがあつた。

その日はどうしたわけか、釣れが悪かつた。私はやけになつて、すぐそこを游いでゐる三寸ばかりの魚を目がけて鈎を下した。そして無理やりに餌を魚の鼻さきにこすりつけようとして、ふと物に驚いて、じつと水の深みを見おろした。

今まで雲のかなたに陰つてゐた春の陽は、急にぱつと明るくそこらに落ちかかつて来た。ささ濁りに濁つた水の中に、青い藻が長く浮いてゐて、その蔭から大きな鯉が、真黒な半身をのつそりと覗かせてゐるではないか。鋼鉄の兜でも被つたやうなそのしかめつ面。人を恐れないその眼の光。私は見てゐるうちに、何だか不気味になつた。

「池のぬしかも知れない。」

さう思うと、水草の蔭に、幾年と棲みながらへて、岸を外へ、広い天地に躍り出すこともできないで、絶えず身悶えして池を泳ぎまはり絶えず限られた池を呪つて来た老魚の生活の倦怠と憂鬱とが、私の小さな心を脅かすやうに感じられて来たので、私は魚を獲ることなどはすつかり思ひとまつて、そこそこに舟を岸に漕ぎ戻したことがあつた。

河魚といへば、いづれも新鮮な生命にぴちぴちしてゐて、その姿をしなやかな、美しいものとのみ思つて、友達のやうな親しみをもつて遊び馴れて来た私に、この古池の鯉は、彼等の持つ冷たい不気味さと憂鬱との半面を見せてくれるに十分であつた。

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