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TORENDIA

序に代えて人生観上の自然主義を論ず

本文約5,400字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

島村抱月は、自身の実行的人生に対する明確な目的や理想を見出せず、世の中の道徳にただ従うことしかできない現状を綴る。知識によって既存の宗教的あるいは理想主義的な道徳を解体し、最終的に「自己の生」という自愛に行き着くものの、そこに崇高な意義を見出せない矛盾を抱える。本書は、自己の知識が既存の人生観を否定し、疑心暗鬼に陥る過程を赤裸々に告白し、人生観上の自然主義と自身の思想的境地との関係を論じる。

島村抱月

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🎧 序に代えて人生観上の自然主義を論ず / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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一

私は今ここに自分の最近両三年にわたった芸術論を総括し、思想に一段落をつけようとするにあたって、これに人生観論を裏づけする必要を感じた。

けれども人生観論とは畢竟何であろう。人生の中枢意義は言うまでもなく実行である。人生観はすなわち実行的人生の目的と見えるもの、総指揮と見えるものに識到した観念でないか。いわゆる実行的人生の理想または帰結を標榜することでないか。もしそうであるなら、私にはまだ人生観を論ずる資格はない。なぜならば、私の実行的人生に対する現下の実情は、何らの明確な理想をも帰結をも認め得ていないからである。人生の目的は何であろうか。われらが生の理想とすべきものは何であろうか。少しもわかっていない。

もちろんかような問題に関した学問も一通りはした、自分の職業上からも、かような学問には断えず携わっている。その結果として、理論の上では、ああかこうかと纏まりのつくようなことも言い得る。また過去の私が経歴と言っても、十一二歳のころからすでに父母の手を離れて、専門教育に入るまでの間、すべてみずから世波と闘わざるを得ない境遇にいて、それから学窓の三四年が思いきった貧書生、学窓を出てからが生活難と世路難という順序であるから、切に人生を想う機縁のない生涯でもない。しかもなおこれらのものが真に私の血と肉とに触れるような、何らの解決を齎らし来たったか。四十の坂に近づかんとして、隙間だらけな自分の心を顧みると、人生観どころの騒ぎではない。わが心は依然として空虚な廃屋のようで、一時凌ぎの手入れに、床の抜けたのや屋根の漏るのを防いでいる。継ぎはぎの一時凌ぎ、これが正しく私の実行生活の現状である。これを想うと、今さらのように armer Thor の嘆が真実であることを感ずる。

二

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