蔦葛木曽棧
本文約331,100字 ・ 読了時間 約663分
あらすじ(AIが作成しました)
戦国時代の木曽藪原、美しい遊女・鳰鳥に纏わる怪奇な噂と、彼女を囲う藪原長者の横暴な支配を描く。また、出口のない四四本丸城砦の縄張りを探る者たちの動向や、魔法の玉を手にした土彦の不思議な術も並行して語られる。混沌とした戦乱の世を背景に、館の女たちの受難や謎めいた出来事が交錯する。作者は本作でキリスト教的な解脱を意図し、煩悩が生む無数の闘争の模様を綴る。本稿は物語の前編にあたる。
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藪原長者
「福島は今日から馬市で、さぞまあ賑わうことだろう」
「福島の馬市も馬市だが、藪原の繁昌はまた格別じゃ。と云って祭りがあるのではないが、藪原長者の抱妓の中に鳰鳥という女が現われてからは、その顔だけでも拝もうとして、近在の者はいうまでもなく遠い他国からも色餓鬼どもが、我も我もと押し出して来て、夜も昼も大変な雑沓じゃ」
「そのように評判のその女、どういう素姓の者であろう?」
「素姓などどうでもよいではないか。容姿さえ美しければそれだけで女は沢山じゃ」
「いやいやもしもその女が、妖怪変化であったなら……」
「妖怪変化? 変化とは?」
「それではお前まだ聞かぬか? その美しい鳰鳥には、聞いただけでも慄然とする咒咀が纏わっておるそうじゃ」
「ふうん、そいつは初耳じゃ」
「と云うのは何んでも夜になると、その鳰鳥は一瞬間、現世から黄泉へ行くそうじゃ。言い換えるとつまり死ぬのじゃな。そうして一旦死んで置いて、それから間もなく生き返るそうじゃ。それが毎晩だということじゃ。なんと恐ろしい女ではないか」
「お前の云うことが本当なら、なるほど恐ろしい女子だが、しかし恐らくその噂は鳰鳥の全盛に蹴落とされた朋輩遊女が口惜しまぎれに云いふらしたものでもあろうかい」
「それならよいが、どうも私は、あんまりあの女が美しいので、人間ではあるまいと思うがの」
「どうでも変化だと云うのだの」
「私には人間と思われぬ」
「私には人間と思われるよ」
「私にはどうも思われぬ」
「いいや確かに人間じゃ!」
「いいや確かに化物じゃ!」
「人間じゃ!」
「化物じゃ!」むきになって二人は争うのであった。
時代は足利の末葉で、日本歴史での暗黒時代、あっちでも戦い、こっちでも戦、武者押しの声や矢叫びの音で、今にも天地は崩れるかとばかり、尾張には信長、三河には家康、甲斐には武田、越後には上杉、群雄四方に割拠して覇を争う物凄さ。血生臭い事ばかりが行われたが、八方山に囲まれた木曽の谿谷三十里は、修羅の巷を懸け離れた自らなる別天地で、春が来れば花が咲き夏が来れば葉が茂り、きわめて長閑なものであった。