支那の思出
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あらすじ(AIが作成しました)
満洲事変前夜の中国を巡った筆者が、上海から旅順までの一ヶ月にわたる滞在を通じて出会った人々の姿や風景を綴る。河で小船が転覆しても悠然と構える支那人の様子や、将来の繁栄を信じて商売を続ける老人の生き方に接し、大陸に生きる人々の独特な心構えを見出す。また、中山陵を訪れて孫逸仙を想い黙祷を捧げた際、守衛から敬意を表された経験を振り返るなど、中国の人々と触れ合った折々の印象や思索を収める随筆である。
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私が支那へ行ったのは満洲事変の始まった年の、まだ始まらない頃であった。
上海、南京、蘇州、杭州、青島、旅順、大連、奉天と見て廻った。約一ヶ月を費した。
汽船は秩父丸であった。船がウースン河へ這入り、岸の楊柳が緑青のような色に萌え、サンパンだのジャンクだのが河の上をノンビリと通っている風景は美しかった。
デッキに立ってそういう風景を見ていると、同伴の妻が突然声を上げて河の一所を指さしたので私は其方を見た。
一隻の小船が、日傘をさした男と船夫とを乗せて、ノタノタと動いていたが、その横を通った大きな汽船の余波を食って、転覆しかかっているのであった。とうとう転覆して、日傘の男も船夫も河中へ落ちた。
ところが日傘の男は片手で依然として日傘をかざし、片手で船縁へ取付いて悠然として流されてい、船夫の方は、これも船縁に取付いたまま悠然と流されているではないか。悲鳴も上げなければ助けも乞わない。そうしてその附近を上下している沢山の小船の人も、別にあわてて助けようともしない。
そのうちに私の秩父丸は行過ぎて了ったので、難破した二人の人間の運命がどうなったかしらないが、あんな場合にも周章てず騒がず、日傘を大切そうに空へかざして、船と共に流されて行った支那人の姿は、いつ迄も私の眼底に残っていた。
大陸に生きる人間の一つのポーズを見たと思った。
× × ×
杭州の西湖の岸を散策した時、私は道端で、埃だらけになっている大根の、漬物を買った。この道端で売っている支那の大根漬ほど美味の漬物を、まだ私は他で味わったことが無い。しかも又廉価であるのにも驚かされた。そうして、それを売っている老人や、老婆の不潔なのにも驚かされたものだ。
私は、その大根漬売りの老人を相手に、通弁を通して話してみた。
「息子はあるかね?」
「有ります」
「孫は?」
「有ります」
「そんな商売をしていて金持になる見込みがあるかね?」
「私が金持に成らなければ伜が成るでしょう。伜が成らなければ孫が成るでしょう。私たちは、三代先のことを考えて生活しております」
「…………」