TRENDIA CLASSIC

探偵小説を作って貰い度い人々

国枝史郎

1 / 2

平林初之輔氏が探偵小説を書いた。書いて貰い度いと久しい前から、思っていた所の人である。処女作などとは思われない程、よく纏まったものである。理智的であって人情的、よく調和がとれている。多少文章はゴタツイているが、根が評論家のことであり、創作には不慣れと云って了えば、そういう難は救われる。のみならず頭のよい同氏のことだ、二度目の作に至っては、そんな欠点も無くなるだろう。

藤井真澄氏を無理にも進め、探偵小説を作らせたいものだ。僕に執っては無二の畏友、共同生活をしたこともある。その頃から僕は同氏には、良いことばかり教えられている。同氏は既に「新魔王」に於て、探偵脚本を書いている。その出来栄えも結構である。新魔王の解釈も氏一流だ。ただ其手法に至っては、少しく初期の探偵物に、こだわっているような所がある。

藤井主義は即科学主義である。同氏は科学主義に溺れているともいえる。だが決して溺れ過ぎてはいない。

近代芸術の特色として科学的ということは無視出来ない。わけても探偵小説は、そういう要素を多分に持つ。で、科学主義の藤井氏などが、この方面へ鍬を入れることは似つかわしいもののように思われる。だが同氏は何を書くにも、そこへ一理窟見付けないことには容易に筆を執ろうとはしない。しかし同氏は探偵小説には、以前から興味があった筈である。僕は既に五年程前に、同氏の口から聞いたように思う。五年間考えたらもう可かろう。そろそろ執筆して貰いたい。しかし同氏はどっちかというと、筆不精の方に属している。だから誰か同氏を進め、寧ろ同氏を鞭韃し、謂い得べくんば駆り立てなければ、或は筆を執らないかもしれない。あのダーウィンの進化論と、あのフロイドの精神分析学と、あの日蓮の折伏主義とを、混和させたような同氏の思想が、探偵小説に盛られたなら、新機軸を出すに相違無い。狛江村などに引っ込んで、晴耕雨読していずと、探偵小説を書いて貰い度い。

国枝史郎の他の作品