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TORENDIA

雨夜詞

本文約4,500字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

雨の晩、料理店で働くお菊は、店に通う北村という客に思いを寄せている。ある日、北村の家から出前の注文が入り、お菊は指定された場所へ向かう。しかし、その道中で不可解な風景に遭遇し、到着した先で北村と対面したきり、お菊の行方は分からなくなる。後に酔客は、彼女が雨と共に現れた何者かに連れ去られたのだと示唆する。本作は、日常の中に紛れ込んだ幻想的な怪異と、一人の給仕女の失踪をめぐる顛末を描く。

田中貢太郎

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🎧 雨夜詞 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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給仕女のお菊さんは今にもぶらりとやつて来さうに思はれる客の来るのを待つてゐた。電燈の青白く燃えだしたばかりの店には、二人の学生が来てそれが入口の右側になつたテーブルに着いて、並んで背後の板壁に背を凭せるやうにしてビールを飲んでゐた。其所にはお菊さんの朋輩のお幸ちやんがゐて、赤い帯を花のやうに見せながら対手をしてゐた。

お菊さんは勝手の出入口の前のテーブルにつけた椅子に腰をかけてゐた。出入口には二筋の白い暖簾がさがつて、それが藍色の着物を着たお菊さんの背景になつてゐた。それは長く降り続いてゐた雨の空が午過ぎから俄に晴れて微熱の加はつて来た、何所からともなしに青葉の香のやうな匂のして来る晩であつた。お菊さんは青いカーテンの垂れさがつてゐる入口の方を見てゐた。見ると云ふよりは聞いてゐた。それはのそりのそりと歩く重だるいやうな足音であつた。

「……何を考へてるの、ゐらつしやいよ、」

お幸ちやんの顔が此方を向いたので、お菊さんは自分が北村さんを待つてゐてうつかりしてゐたことが判つて来た。

「行くわよ、」

「何をそんなに考へ込んでるの、昨夜のあの方のこと、」

それは近くの自動車屋の運転手のことで、お菊さんにはすぐそれと判つた。買つたのか貰つたのか、二三本葉巻を持つて来て、それにあべこべに火を点けながら、俺はこれが好きでね、と云つて喫んだので、二人は店がしまつた後で大笑に笑つたのであつた。

「さうよ、俺は葉巻が好きでね、」

お菊さんは男の声色を強ひながら、右の指を口の縁へ持つて行つて、煙草を喫むやうな真似をした。

「さうよ、さうよ、」

と云つてお幸ちやんが笑ひだした。

「なんだい、なんだい、へんなことを云つてるぢやないか、なんのことだい、」

お幸ちやんと並んでゐた学生の一人がコツプを口にやりながら云つた。

「面白いことよ、これよ、俺はこれが好きでね、何時もあべこべに喫むんだよ、」

お幸ちやんは笑ひながら右の指を二本、口の縁に持つて行つて煙草を喫む真似をした。

「なんだい、その真似は、何人がそんなことをするんだ、云つてごらんよ、何人だね、」

「運転手のハイカラさんよ、」

「運転手つて、自動車か、」

「さうよ、」

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